今回、国の第3時補正予算が可決され、2月2日に基山町への交付額が決定しました。「新型コロナウイルス感染症対応地方創生臨時交付金(第3次交付分)」の事業申請は、早いものは2月8日午前中までに県に対して提出しなければならないため、その内容について議会全員協議会(全協)で急遽取り上げることになりました。


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町長はじめとする執行部メンバー


 事業計画案は、

 1・令和2年度内に完了するもの

 2・令和2年度に始まり、3年度へ繰り越されるもの

 3・令和3年度に実施するもの

 に分けられます。


 補助金交付額は総額8611万3000円で、基山町から提出された総事業費は1億3832万9000円です。 


 飲食店を含む中小企業支援事業や、子育て環境支援事業、健康維持事業など、9項目が町長から提出されました。プレミアム商品券も形態は前回と変わるかもしれませんが、実施されそうです。


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 これらの事業計画案に、議員からも様々な意見や提案が上がりました。議員からの意見が考慮された内容は、町長が庁内会議でさらに詰めていくことになります。


 また、町議会からも新型コロナウイルス感染症対策に関し、8項目についてまとめた要望書を町長へ提出しました。


 まだまだ、コロナの収束やワクチン接種に明確な見通しが立たない現状ですが、これらの事業費が少しでも、町民の方々に生かされることを期待します。


 基山町には、行政区長始め、多くの地域ボランティアの方がいらっしゃいます。


 その中でも、民生委員・児童員さんはとても大切な役割を担っているひとつだと思います。


 近年はそのお仕事も多岐に渡り、お子さんを抱えるご家庭から、一人暮らしのご高齢の方などの生活に関する様々な悩みに、献身的に応えられています。


 近年、対象者が多いエリアでは、民生委員協力員制度も導入されています。


 今日はその協議会が開催されました。コロナの関係で学校関係者は今回欠席、時間短縮で行われました。


今日は会長の誕生日とも重なり、和やかな雰囲気でスタート



毎回、参考になる資料なども配布されます



 最近はコロナに起因する自殺者も出ていますね。悲しいことです。


 また、全体的には男性の自殺者が多いのですが、最近は女性の自殺者の比率も上がっています。コロナ禍で人とのコミュニケーションや、お付き合いの距離を測りにくいご時世でも、悩みは抱え込まず、誰かに相談してほしいですね。


 そんな時でも、民生委員さんは強い味方。ありがたいですね。 




基山町の基肄城跡(きいじょうあと)も含まれる「日本遺産」、『古代日本の「西の都」~東アジアとの交流拠点~』の解説と写真が展示されいます。




基山町が東アジアでどういう拠点だったか良く分かります。




東アジアで西の都、面白いフレーズですね。


また、ウイルス関連の書籍も特集されていますよ。



お時間があれば、Go To 図書館 !

(現在、椅子は撤去されています)




 今日は「立春」ですね。


 本日、10時より開催されている黒岩稲荷神社の「初午祭」


本      殿


 毎年参拝させてもらっています。


 基山町からは、オリーブの会の会長も兼務する方が「コミュバス利用の町内歴史散歩」と題して「居場所づくり」の方々などを引率して来られていました。


「居場所づくり」の方々と


奥の院 お神酒がいただけます



初々しい巫女さん(投稿の許可はいただいています)



 イベントやぜんざいのもてなしは中止となっています。


 お詣りして、お札をいただき、名物の「おこし」を買って帰ります。




【黒岩稲荷神社の由来】

 壇ノ浦の戦いで敗退した平家一門の慈禅尼が岩穴に隠れて霊を祀ったという歴史をもつ黒岩稲荷神社。稲荷神は農家では「稲の神」、商家では「商売繁盛の神」、漁家では「大漁の神」、鍛冶職では「火神」など各種の職業神として多くの信仰を集めています。


 二十四節気の一つ「立春」を迎える2月最初の「午(うま)の日」は1年のうちで最も運気の高まる日とされており、黒岩稲荷神社では毎年この日に五穀豊穣や商売繁盛を祈る「初午祭」が行われています。(小郡市観光協会より引用)


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レアなマグネットバッジを宮総代さんからいただきました


 昔、小郡市西島に住んでいた伯父も宮総代をさせていただいた、ご縁のあるお稲荷さんです。



 仕事で近くまで来たので、ちょっと寄ってみました。

 基肄城(きいじょう)ともゆかりのある、広大で素晴らしい歴史公園です。



鞠智城(きくちじょう)は、7世紀後半(約1300年前)に大和朝廷が築いた山城です。当時、東アジアの政治的情勢は、非常に緊張していました。日本は、友好国であった百済を復興するため援軍を送りましたが、663年の「白村江の戦い」で唐と新羅の連合軍に敗北しました。このため、事態は急変し、直接日本が戦いの舞台となる危険が生じました。そこで九州には、大宰府を守るために佐賀県基山町の基肄城(きいじょう)や福岡県大野城市の大野城、長崎県対馬市の金田城が築かれました。鞠智城は、これらの城に食糧や武器、兵士などを補給する支援基地だったそうです。






現在でも、自治体同士でイベントの時などに、ゆるキャラを派遣させたりしてますね。


 当時からは考えられない、平和な時代ですね。