多良海道_000013

令和2年3月7日開催予定の
基山小郡「歴史散歩」を
連日のコロナウィルスの影響により
中止させていただく事となりました。
御理解の上、ご了承いただきたく思います
2月24日
多良海道歩きの3回目となる
太良駅から湯江駅間を歩いて来ました。
前回も山間を歩きましたが、
今回はさらなるハードな未舗装路を含む
山道となるようです。

朝8時過ぎに今回のスタート地点の
JR太良駅をスタート
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駅から少し離れた海道の道筋をなぞり歩きます。

集落を離れる道筋には
疫神を立てられておられました。
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鹿島を過ぎて以降、集落の出入り口には、
よく立てられているのを見かけました。

さて、ここからは山間に入って行き
標高が上がると、有明海を望むことが出来ます。
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上り坂に入ると菩薩様が祀られ
この菩薩様の下の大きな石から
山水が染み出しており、
きっと当時の往来の人々の喉を
潤していたのでしょう。
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歩き始めて約1時間で
標高は200m台に
すでに未舗装路となり
道筋を捜索しながらの歩きとなっています。
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雨水で道が流され、露出した石に足を取られて
すでに歩きに疲労を感じます。

未舗装路を歩くこと約1km
山道では、この黄色い道標が
非常に心強い味方となります。
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舗装路に出て
途中、一里塚跡を過ぎ
竹林の中に、八天宮があります。
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この八天宮、神石と思われる前に
社だけ祀られている
なんとも雰囲気のある佇まい。
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お昼前に、今回の峠のピーク地点となる
山茶花峠に到着。
ここには郡境石があり
この周辺を保存管理されていました。
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郡境石の前でお昼休憩です。
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郡境石を離れると
山茶花の茶屋跡を通りますが
当時の石積みの門が残されており
その間を通る事が出来ます。

郡境石は今は県境となるようで
ここからは長崎県に入ります。
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長坂に入り、途中まで階段に整備されており
歩きやすく助かります。
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長坂を過ぎ
道筋はコンクリ舗装されているようですが
長い間、人が入っていないようで
藪こぎ状態で進みます。
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山の開けたところから
雲仙岳が見えるところまで来ました。
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ここまで来ると
登りは終わり、湯江まで降りる
下り道となります。

途中、七曲りと呼ばれる所がありましたが
雨水により残念ながら歩ける
状況ではなくなっており、
これからは、
自然に呑み込まれてゆくのでしょう。
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午後2時半過ぎに
太良嶽大権現一ノ鳥居を通過
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またもや未舗装路に入り
約2kmほどを進みますが
16km近く歩き疲労が溜まった足には
この山道はかなり辛いです。
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大越まで来て
やっと舗装路に出てきました。

殿の高野を過ぎ
またもや未舗装路が現れます。
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街道坂入口を過ぎ
湯江の街中に入って来ました。

そして、諫早街道と竹崎街道の
湯江追分に到着。
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宇良茶屋跡を過ぎ
午後4時過ぎに
湯江の一里塚跡の到着です。
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一里塚跡から歩いて
5分ほどの湯江駅にて
この日のゴールとなりました。

今回は、太良町と諫早市と
県を越えての歩きでしたが
それぞれ、しっかり道標を示してあり
大きく道に迷う事なく
歩くことが出来き、非常に助かりました。
2月2日、2回目となる多良海道歩きを行いました。
今回は肥前鹿島駅をスタートし
多良駅までの約20kmを歩きます。
今回のルートには峠越えがあり
足の進む具合いが気になるところです。

朝8時前に鹿嶋駅をスタート
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鹿島駅から多良方面への浜宿へ進みますが
鹿島中心部は、昨今の道路整備で
道幅は拡張され周辺の建物も改めているようですが
古い町並みの雰囲気は残されている印象でした。
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鹿島市役所を過ぎ、周辺の街道筋には
当時の道幅を想像できる道が残っています。
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浜宿に着くと、町並みは現在も造り酒屋が
営業しており、2016年に町並みを残すために
改修してあるそうです。
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この浜宿道筋周辺には
茅葺きなどの草葺の建物が多く残されています。
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浜宿の端となる番所跡を過ぎると
町並みが終わり、ゆるい上り勾配が始まります。

今回の山場となる峠越えの
矢答(やごたえ)峠へ、みかん畑を進みます。
進む右手には、祐徳稲荷神社の奥の院が望めます。

そして、旅人たちが腰掛け休憩したと言われる
大きな腰掛石が道そばに現れました。
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ゆるい勾配に、しだいに足が削られていきますが
山間の見晴らしは、なかなかのものです。
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浜宿から2時間半ほどで
ルート上の最標高となる
矢答峠に到着です。
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この矢答集落にある天満宮にて
お昼休憩を済ませ
多良の街を目指します。

矢答峠の下りは未舗装の山道です。
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この山道の一部は夏場の大雨のせいか
道筋は雨に流され、下にある石が洗い出され
がれ場のようになっており、足を取らてしまいます。

それ以外の未舗装路は
山道としては歩きやすいと思います。
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未舗装路区間は、私感ですが
約2kmほどと思われます。
それを過ぎると、舗装路のゆるい下り道を進みます。

みかん畑の向こうには
多良の町並みと有明海が遠望できます。
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またもや、未舗装路が現れますが
3,400mの短い区間です。
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矢答峠から約2時間で
多良の街中に到着。

そして、多良駅近くの大魚神社に
この大魚神社には、テレビや観光パンフレットで
紹介されている海中鳥居が海沿いにあり
海道道筋からは少し外れますが、立ち寄って見ました。
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この日は日曜日でしたので
多くの観光客が訪れていました。
この海中鳥居の隣は、
引き潮の時は道路が現れる海中道路となります。
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海道道筋の戻り
今回のゴールとなる多良駅は歩いて10分ほどで
3時過ぎに、今回の街道歩きは終了となりました。

多良町の海道道筋には
黄色い道標が設置してあり
おかげさまで、道に迷うことなく
進むことができました。
020年、年明けの街道歩きは
多良海道を歩きたいと思います。
多良海道の道筋は
佐賀県の肥前山口から長崎県の諫早市までの道なりとなり
今回は肥前山口駅をスタートし、白石町を過ぎ鹿島駅までの
約19kmを歩きたいと思います。

肥前山口駅前の県道35号線に並行する長崎街道から
交差点名が「新宿」付近を北に折れる道が
多良海道となります。2
ですが、どうやら近年の区画整理で
当時の道の痕跡は、ほぼ近代の道に置き換わっており
一部、田畑の中に残す物となっていました。

海道を示す手元の地図と、現在の場所を照らし合わせて
進むと、道筋に多く残されている
お地蔵様が手がかりになるような気がしました。

田畑のなかを進むと六角川にあたります。
白石町との町境となる六角川は当時
船渡しであったようで
船渡し跡付近には大師堂とお稲荷様が祀ってありました。
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六角川を渡り、白石町の平坦地を進みます。
建物は変わっていますが、当時の雰囲気を残す
道を進んで行きます。
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すばらくすると、稲佐神社の大きな鳥居が右手に出てきました。
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この鳥居の先の小山の中腹に神社が見えますが
今回は、通過させてもらいます。

足を進め、今回唯一の表高100m台の峠道となる
深浦峠手前には、宝島の石塔群が現れます。
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梵字を含む石塔と奥の方には
文字だけ刻まれた天満宮
そして、さらに海道道筋を進むと
道そばの大きな石を削ったところに
六地蔵や菩薩様が祀ってあります。

さらに、進むと
すごく雰囲気のある彦島神社が現れます。
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彦島神社から、すぐに標高100m台の小さな峠越えとなり
その深浦峠から、今歩いて来た道を望みます。
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峠を越え、鹿島の市街地に近づきます。
塩田川付近に近づくと
こじんまりとした、琴平神社があり
地元の方が守られていると感じました。
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足を進め、塩田川を渡ります。
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川を渡ると、鹿島の城下町の雰囲気を残す
街中に入り、今回は肥前鹿島をゴールとしました。
今回のルートは現在の道に置き換わっているところが多く
その道そばには、小さな天満宮やお地蔵さま、
八天宮などが多く目に付くことから
過去の河川による、水害が関わっている事を感じました。
12月21日。停滞していた長崎街道歩きですが
今年中に、長崎街道を歩き終わりたいと思い
歩かせてもらいました。

長崎街道の残り区間は、塩田から嬉野までの区間ですが
今回は、多良街道から長崎街道に接続する
多良海道の鹿島から塩田までの区間も一緒に
歩くことにしました。

というわけで、今回のスタート地点の
JR肥前鹿島駅からスタートします。

鹿島駅から少し離れた道が
街道になりますが、当時の雰囲気が残る
街中を進みます。
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街中から郊外に出ると
道筋は、車道に開発された時に
変更されているのではと想像しつつ
お昼前に多良海道と長崎街道が交わる
塩田町の追分跡に到着です。
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画像手前から奥に進む道が長崎街道。
(奥が塩田の街中へ)
交差する横断歩道がある右手が歩いてきた
多良海道となり
当時は追分石があったようです。

ここからは、
塩田を離れ、嬉野までを進みます。

長崎街道の武雄北方から嬉野までの
ルートには、多くの六地蔵が残されており
そのほとんどが現在も、
お花やお茶が祀られていました。
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嬉野が近づくと、当時の道筋が
今もよく残っており、当時の河川はよく氾濫し
それを回避するためか
道筋は高台など、平地を避けて通っています。
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小さなアップダウンを繰り返し
嬉野の街中に到着すると
これで、長崎街道の
武雄ルート&塩田ルートを含めて、
長崎から小倉までを完歩となりました。

3年を超えて長崎街道を歩いてきましたが
街並みは当時と変わっていますが
山並みなどの郊外の風景は大きく
変わっていないと思われ
街道からみた風景は当時の人々も
同じものを見ていたと思います。
そう思うと、当時の人の息吹を感じた気がしました。

今回、歩いた経験を元に基山を通る
長崎街道のガイドに活かせたらと思います。

次回は、長崎街道と並行する
肥前山口から諫早までの
多良海道を歩いてみたいと思います。