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    <title>基山町文化遺産ボランティアガイド</title>
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    <description>基山町文化遺産ボランティアガイド 日記一覧</description>
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    <title>■久山町の皆さまを迎えて</title>
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    <dc:date>2024-03-10T04:31</dc:date>
    <description>　昨日、久山町から「久山町歴史文化勉強会」の皆さまをお迎えすることとなりました。 　きっかけは、当会会長が昨年末に福岡県粕屋郡久山町で開催された「史跡首羅山遺跡 史跡指定10周年記念シンポ」に出席した際に、熱い思いを込め記したアンケート回答が久山町の皆さまの「御心」に届き実現しました。 　■久山町の皆さまをお迎えして

&amp;nbsp;

まずは、わが町の宝である、特別史跡基肄城跡を案内いたしました。

&amp;nbsp;

　時間の都合から南水門前にて解説リレー方式で、南水門跡→米倉跡→基肄城内にある江戸時代の国境石標→東北門跡→大礎石群→荒穂神社の磐座であるタマタマ石について解説を行い、あとは南水門跡周辺を自由散策していただきました。 　■南水門跡にての解説リレー

&amp;nbsp;

　限られた時間で、写真パネルを前にしての解説でしたので、当会会員諸氏ももっと濃い基肄城を語りたくエネルギーを持て余した様子でした。

久山町の皆さま、またの機会に是非お越しいただきたくお願いいたします。

&amp;nbsp;

　その後、基山町立図書館郷土資料コーナーにて特別史跡基肄城跡の展示を御覧いただき、「羅城」や基肄城の役割について熱心な質問が飛び交っておりました。

&amp;nbsp;

　午前中の史跡ならびに展示を通しての研修の後は、当会会員との親睦の場が昼食会として催され、お互いの活動の内容や昨秋にわが町を訪れてくれた久山町立久原小学校の皆さんの話題などで楽しいひと時を過ごすことができました。 　■親睦の場を兼ねた昼食会【久山町歴史文化勉強会の会長様からお礼のご挨拶を受けました。】 　■久山町の皆さまからお礼の品を受け取りました。

&amp;nbsp;

　当会会長の「熱き思い」をご理解いただき、わが町基山までお越しくださった「久山町歴史文化勉強会」の皆さま、ありがとうございました。

&amp;nbsp;

　まだまだたくさんの文化遺産が基山にはあります。

　またのお越しをお待ちいたします。</description>
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  <item rdf:about="https://kiyama-web.jp/katarou/Diary/Pub/Shosai.aspx?AUNo=307&#38;Pg=1&#38;KjNo=79">
    <title>■基山中学校１年生基山（きざん）登山へ「基肄城解説」</title>
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    <dc:date>2023-11-02T08:19</dc:date>
    <description>　本日、11月2日（木）、基山中学校1年生の基山（きざん）登山がありました。

　基山（きざん）といえば、我が町の宝・我が国の宝、特別史跡基肄城跡があり、「基肄かたろう会」に対し、教育学習課学校教育担当より事前学習と登山時の現地史跡解説が依頼され、７名の「基肄かたろう会」メンバーと教育委員会の文化財担当が加わり、１年生４クラス約１３５名の生徒さんに基肄城跡を解説し一緒に巡りました。 　みなさん揃ってスタートです！

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　基肄城を一緒に巡ることで、生徒の皆さんの「元気」、そして鐘撞跡での「皆さんも学校で時間を知らせてくれるモノがありますよね？」の問いに、「し〜〜ん。」？？？？？。「チャイムが鳴りませんか？」の問いに「鳴りませ〜〜ん。」・・・・・「え〜〜〜っ（と私たち）」と驚きを隠せなかったことは、新たな学びを得ました。 　東北門での解説の様子 

　天智天皇が、多様な価値観を統制するために「時の制度」を始め、その時を知らせる場が「鐘撞」跡だという説明をする時、今の学校生徒諸君には「チャイム」は通用しないことを知り、別の手法を考えなければならいという気づきを与えてもらいました。ありがとうございました。 

　でも、「何故、チャイムが無くなったのか」知りたいところです。

 

　それはさておき、基山中学校の若人諸君と基肄城をまわることができ、た〜〜〜くさんの学びを得ることができました。本当に貴重な経験をさせていただき、心から感謝いたします。ありがとうございました。

&amp;nbsp;

　まだまだ語る・語れることは「た〜〜〜〜〜〜くさん」あります。またお会いできるその日に語ることにしましょう。

&amp;nbsp;

　基山中学校１年生の皆さん、ありがとうございました。 　皆さんから「お礼」をいただきました。【こちらがお礼をいいたいぐらいの成果でした「ありがとう」ございました！】</description>
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    <title>■基山中学校事前学習へ</title>
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    <dc:date>2023-10-31T06:46</dc:date>
    <description>　本日、令和5年10月31日（火）、私たちの町の基山中学校一年生に対し、基山（きざん）にある国の特別史跡基肄城跡を知ってもらうための講話を行いに、基肄かたろう会と基山町教育委員会の協働の取組として実施いたしました。 　講話導入の様子

&amp;nbsp;

　単に講話を行うだけでなく、1年生に主体性を持ってもらうために司会進行などはお任せし、①「地元の基肄城をもっと知ろう」、②「物」は語るとして基肄城出土品について解説を行っています。 　講話の様子

&amp;nbsp;

　基肄かたろう会メンバーの「熱い」思いがほとばしる講話に、一年生の皆さんが聞き入る姿をみて感動を覚えるほどでした。

&amp;nbsp;

　明後日、11月2日には現地を皆さんと再び巡ります。

　当日、どんな反応があるか楽しみです。

&amp;nbsp;

　今日のこの日まで、諸事、段どりいただいた当会会員、ならびに参画いただいた皆さん、お疲れさまでした。そして、ありがとうございました。

&amp;nbsp;

　11月2日の特別史跡基肄城跡解説も、併せてよろしくお願いいたします。</description>
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    <title>■久山町立久原小学校　6年生を迎える！</title>
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    <dc:date>2023-10-06T09:31</dc:date>
    <description>　本日、令和５年10月6日（金）。

　久山町立久原小学校の６年生６７名を、我が町の宝・特別史跡基肄城跡にお迎えし、当会がガイドを行いました。 　みなさんを迎える基肄城跡&amp;nbsp;出迎えのご挨拶をされる柴田教育長 

　基山町立総合運動公園第３駐車場から徒歩で基肄城南水門、米倉礎石群、鐘撞跡、つつみ跡、東北門跡、丸尾礎石群、そして大礎石群を経て山頂までご案内したところです。  

　久原小学校の皆さんは、水曜日から史跡巡りとして福岡市の若杉山登山、昨日は唐津城、そして今日は佐賀県では最も新しく指定された特別史跡吉野ヶ里遺跡、午後から佐賀県では最も古く指定された特別史跡基肄城跡を訪れています。

　子ども達は、この３日間歩きづくめで、「満身創痍」で史跡巡りを行っていました。 　基肄城へ 

　素晴らしい体験をしていると同時に、その皆さんのガンバル姿に、改めて「子どもに限界はない。」「苦難を乗り越える力をしっかり持っている。」ということを認識しました。　やはり子ども達に「限界という壁」を創作しているのは大人なのだとも再認識したところです。

&amp;nbsp;

　今日は、特別史跡基肄城跡という古代の山城を登ってくれました。

　私たちガイドは、子ども達の姿に二つの大きな学びを得ています。

　①互いを元気づけ、みんなで苦難を乗り越える姿

　②自分たちの町の誇りをしっかりアピールする姿

&amp;nbsp;

①は、基肄城跡は山城です。南水門跡から米倉礎石群そしてつつみ跡までのぼりが続く散策路ですが、道々、歌声が聞こえます。「元気だな〜っ。」と思いましたが、これこそ互いを気遣い、元気を与え、そしてみんなで「苦難」を乗り越えようとする姿でした。その姿にガイドする側も「大きな元気」をいただいた思いです。ありがとうございました。 &amp;nbsp;ガイドを受けるみなさん

&amp;nbsp;

②は、久山町には平成25年（2013）3月27日に史跡指定を受けた首羅山遺跡があります。この首羅山遺跡の幟を掲げ、特別史跡基肄城跡へ登る姿に、自らの町の誇りをしっかりアピールしているのだと、心から感動しました。

　保護者の方に伺うと、特別史跡吉野ヶ里遺跡では、史跡に訪れたお客さまに、特別史跡吉野ヶ里遺跡を解説するのではなく、「我が町の誇り、史跡首羅山遺跡」を解説したというではありませんか。他人の道場で、自らの「剣術」を披露する「道場破り」か？とも思いましたが、全て子ども達が実践したとお聞きし、まさに「我が町の誇り」をしっかりアピールする姿に、「凄い」「できる」という感動しかありませんでした。

　史跡が子ども達に「根差している」という姿を教えていただいた思いでした。

&amp;nbsp;

　わずか半日のという短い時間の共有でしたが、実に濃い、実りある時間を共有させていただいたという思いです。本当に、たくさんの学びをありがとうございました。

　結びに、お一人の先生が涙をこらえつつ挨拶されていたお姿に、私たちも思いを共有できた、そんなひと時でした。素晴らしい子ども達とご一緒させていただいたこと、本当に心から感謝いたします。 &amp;nbsp;ゴールで迎える保護者の皆さん【展望所跡】　　 &amp;nbsp;感動の挨拶をされる先生  

　私たちの町・基山にある特別史跡基肄城跡は、半日では語ることができないほど、た〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜くさんの物語があります。お時間がありましたら、またお越しください。また違った特別史跡基肄城跡をご案内いたします。

&amp;nbsp;

　今日は、久原小学校の6年生の皆さん、保護者の皆さん、そして久山町教育委員会の皆さん、ありがとうございました。また「お会いできる日」を楽しみにしております。</description>
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    <title>■静岡県浜松市からのお客様へ基肄城をガイド</title>
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    <dc:date>2023-09-29T08:17</dc:date>
    <description>　本日、令和5年9月29日に、静岡県浜松市の「日本百名城・続名城倶楽部」の皆さま３５名をお迎えし、特別史跡基肄城跡探訪をご案内いたしました。 &amp;nbsp;■解説の様子 &amp;nbsp;■解説の様子

&amp;nbsp;

　浜松からお越しの皆さま、御歳を感じさせない軽快な足取りで、古代の朝鮮式山城・特別史跡基肄城跡を巡り、当会メンバーの軽快なガイドを堪能していただきました。

&amp;nbsp;

　限られた時間で、基肄城跡の全てをご覧いただくことはできませんでしたが、幸い快晴に恵まれ、基肄城からの筑紫平野・博多湾の眺望をご覧いただけたことは、基肄城の選地理由を体感していただけたと思います。 &amp;nbsp;■皆さまをお迎えするために当会メンバーで整えた大礎石群

&amp;nbsp;

　まだまだ語ることは沢山ありましたが、基肄城跡を後にされ基山町民会館にて百名城スタンプを押していただき、次なる訪問地・大宰府の北の守り水城跡へ、お見送りいたしました。

&amp;nbsp;

　今回、参画いただいた当会メンバーの皆さま、少々暑さが増した気候でしたが、お疲れ様でした。

&amp;nbsp;

　また、今回の最大の収穫は、当会会長による交渉力によって、大型観光バスが草スキー場駐車場まで上がることができたことです。このことは、大型観光バスで特別史跡基肄城跡までお越しいただけるとともに、多くの時間を、基肄城を知っていただくために使うことができるということが分かったことは、基肄城を少しでも深く・濃く知っていただく路が拓けたということで、大変意義深い出来事です。 &amp;nbsp;■草スキー場・駐車場までお越しいただきました。 

事ここに至るまでは、沿道の樹木の管理伐採、道路補修ならびに整備など様々な手立てを基山町役場、瀧光徳寺など関係機関の皆さまの日頃のご努力あってのこととも思っております。関係していただいた多くの方々に、深く感謝いたします。</description>
  </item>
  <item rdf:about="https://kiyama-web.jp/katarou/Diary/Pub/Shosai.aspx?AUNo=307&#38;Pg=1&#38;KjNo=75">
    <title>■第２回文化遺産調査</title>
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    <dc:date>2023-09-29T09:05</dc:date>
    <description>　昨日、文化遺産ガイドボランティア養成講座にて行っている、第２回文化遺産調査フィールドワークが実施されました。

　第１回目からの延長で、昨日は「つつみ跡」〜「東北門跡」までを踏査しています。

&amp;nbsp;

　皆さんの感受性に任せ、「気になるモノ」「興味のあるモノ」を探していくフィールドワーク。昨日も「堺」の文字が陰刻された境界石、現代の境界標、道々にある巨石、散策路の真ん中にある小動物のフン、山芋を掘るコツ、「方向感覚がなくなる」山道、基山中学校の学校林、市町村合併の話など、基山（きざん）にある事物としての文化遺産から、踏査の際、皆さんの口々に語られる「お話」の一つひとつが文化遺産そのもので、楽しく興味深い第2回文化遺産調査となりました。 &amp;nbsp;境界石でひとしきり「議論」&amp;nbsp;ここかしこにある巨石&amp;nbsp;現代の境界標&amp;nbsp;小動物のフン

&amp;nbsp;

　次回、第３回は10月28日（土）です。東北門跡から北ノ御門周辺を踏査する予定です。今度は何が「飛び出す」やら、とても楽しみです。

&amp;nbsp;

　参画された皆さま、お疲れ様でした。</description>
  </item>
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    <title>■基肄城跡大礎石群「手入れ」作業</title>
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    <dc:date>2023-09-26T06:08</dc:date>
    <description>　昨日、9月25日に、特別史跡基肄城跡にある大礎石群において、除草ならびに小樹木除去作業を、基山町教育委員会に申し出を行い、通常の維持管理行為内で行っています。 　作業前01　作業前02

&amp;nbsp;

　午前８時から開始し、当初は木陰の中での作業でしたが、次第に日が差すようになる中、文化遺産ガイドボランティアメンバー８名で行いました。 　作業の様子01　作業の様子02

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　いよいよ秋の文化遺産ガイドシーズン到来で、今週２９日の静岡県からのお客様をスタートに、来週は福岡県からの小学生をお迎えする予定となっています。

&amp;nbsp;

　また、除去した小樹木の一部は、11月23日・来年の3月20日に開催予定の「特別史跡基肄城跡ハイキング」の際の道標サインとして再利用するため持ち帰り、少しでも有効活用を図りつつSDGs(12 つくる責任・つかう責任　15 緑の豊かさも守ろう　17 パートナーシップで目標を達成しよう)に近づければと思います。

&amp;nbsp;

　皆さんの口々に出た、自画自賛的ではありますが「大礎石群も喜んどるやろう！」という言葉は、日に照らされた大礎石群の姿から、本当に喜んで語りかけてくれるような、そんな気がいたしました。 　作業終了！

&amp;nbsp;

　当日参画いただいた皆さま、本当にお疲れ様でした。

　そして、ありがとうございました。</description>
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    <title>■田代・基山配置売薬関係資料展示</title>
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    <dc:date>2023-09-18T10:09</dc:date>
    <description>　当会会員が所蔵されている配置売薬に関する資料の展示が、基山町立図書館エントランスにある「図書館ギャラリー」にて開催されています。 　展示の様子

&amp;nbsp;

　江戸時代・対馬藩領であった基山で培われた配置売薬は、田代を中心として発展した「田代売薬」の流れをくみ、富山などの配置売薬と並ぶほど盛んに行われ、現在もその命脈をしっかり保ち続けています。

&amp;nbsp;

展示は、長崎街道沿いの木山口町にある西海製薬の薬袋や、鳥栖市基里の原薬房の薬袋など貴重な資料が解説とともに展示され、基山の地で育まれた「配置売薬」の歴史の一端を知ることができます。 

&amp;nbsp;

木山口町の歴史を語る（ガイドする）上で、貴重な資料であり、この貴重な個人所蔵資料を広く開示し、解説してくださった御所蔵者に心より深く感謝申し上げます。 会期は令和5年9月１日から9月30日の一ヶ月です。この機会に、是非ご覧ください。</description>
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    <title>■特別史跡基肄城跡整備へむけて（その２）</title>
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    <dc:date>2023-09-14T07:56</dc:date>
    <description>　9月13日（水）、基山町教育委員会が進めている『特別史跡基肄城跡整備基本設計』策定にむけて、今後の基肄城跡整備への課題を現地で確認する取組の第2回目が行われました。 　眺望点での議論の様子

&amp;nbsp;

基肄城跡がある基山（きざん）を舞台に活動を行っている６つの民間団体にお声がけがなされ、13日は前回同様当会、「基山の歴史と文化を語り継ぐ会」、「文化遺産ガイドボランティア養成講座」の皆さまに加え、30年以上の活動歴をお持ちの「基肄山歩会」、そして「オキナグサ保存会」の皆さまとともに、基肄城跡が持つ課題について現地を一日かけて巡り、課題を出し合いました。

&amp;nbsp;

　前回同様の課題の他に、通天洞や便益施設に関する文化遺産が持つ景観や保全の問題についても熱く議論が交わされています。 　通天洞の上に設置された展望所　豪雨災害で壊れた散策路

&amp;nbsp;

また山頂にある展望所に置かれたサイン帳に記された「ここは何処なのか、どこを歩けばいいのか分からない。」といった切実なコメントに、「展望所に基肄城全体の地図が必要！」との気づきがありました。

&amp;nbsp;

２回にわたり実施された基肄城探索は、基山（きざん）を舞台に様々な活動を実践している団体が、皆で考えを出し合い実践案を考えるよい機会となりました。 　「まとめ」確認の様子

&amp;nbsp;

　２回にわたる聞き取り内容を十二分に咀嚼し、官民連携で『特別史跡基肄城跡整備基本設計』が策定されることを願うとともに、できることを持ち寄り史跡の価値を損なわず、町民みなが保護（保存と活用）できる特別史跡基肄城跡に生まれ変わることを心より願います。

&amp;nbsp;

結びに、足早に巡る皆さまについて行くのがやっとという13日の基肄城探査でした。参画いただいた皆さま、お疲れ様でした。そして有意義なご意見を出していただき、ありがとうございました。</description>
  </item>
  <item rdf:about="https://kiyama-web.jp/katarou/Diary/Pub/Shosai.aspx?AUNo=307&#38;Pg=1&#38;KjNo=71">
    <title>■特別史跡基肄城跡整備へむけて</title>
    <link>https://kiyama-web.jp/katarou/Diary/Pub/Shosai.aspx?AUNo=307&#38;Pg=1&#38;KjNo=71</link>
    <dc:date>2023-09-10T11:03</dc:date>
    <description>　9月8日（金）、基山町教育委員会が進めている『特別史跡基肄城跡整備基本設計』策定にむけて、今後の基肄城跡整備への課題を現地で確認する取組が行われました。 　開始前の諸注意伝達

&amp;nbsp;

基肄城跡がある基山（きざん）を舞台に活動を行っている６つの民間団体にお声がけがなされ、８日は当会を中心に参画し、基肄城跡が持つ課題について現地を一日かけて巡り、課題を出し合いました。 　探索の様子 

　特に当会にひきつけて考えると、散策者むけの道標サインや文化財説明サインの不足をはじめ、文化遺産ガイドを行うにあたって様々な課題が見えてきています。 　散策路を塞ぐ樹木 

　全てを行政機関が背負うことは、膨大な整備費用が必要となります。

　各民間団体において何ができるのかを考え、協働で動くことを見出し実践することも必要ではないかと思います。 　「午前」で見つけた課題の整理の様子

&amp;nbsp;

今月13日に第2回目が行われます。

&amp;nbsp;

基山（きざん）を舞台に様々な活動を実践している団体が、皆で考えを出し合い実践していくよい機会ではないでしょうか。

&amp;nbsp;

結びに、8日はやや涼しくなったとはいえ、基肄城跡を巡った後は、汗まみれになるほどでした。参画いただいた皆さま、お疲れ様でした。そして有意義なご意見を出していただき、ありがとうございました。</description>
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    <title>基山町文化遺産ガイド養成講座　現地調査に出発！</title>
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    <dc:date>2023-08-26T05:02</dc:date>
    <description>　本日（8月26日）、午前８時から第３回文化遺産ガイドボランティア養成講座を開催し、今回から特別史跡基肄城跡がある基山（きざん）をフィールドに、「気なるモノ」「調べてみたいモノ」探しを行いました。 &amp;nbsp;出発前の説明の様子

&amp;nbsp;

　３班に分かれ基肄城跡南水門跡から鐘撞跡までを班ごとに調査を行っていただきました。　　その結果、基山（きざん）にある「気になる竹」「石碑の謎」「散策ルート沿いの樹木」「水汲み場の歴史」「礎石建物に秘められた想い」「謎を秘めたる鐘撞跡」「基山（きざん）のお花たち」「見晴らしのいい眺望点」など、多種多様な視点で文化遺産情報が集められています。 &amp;nbsp;調査の様子

&amp;nbsp;

　様々な視点で文化遺産を調べることで、自分以外の方々の知識、「感性」を知ることができ、何よりも参画していただいた皆さまの眼の輝きが、いつもの輝きとはまた違った「キラキラ」感が増しており、皆さんの知的欲求や「感性」の豊かさに頼もしさを感じました。

 &amp;nbsp;基山（きざん）の草花 &amp;nbsp;礎石建物 &amp;nbsp;眺望点 

　あと二回行いますが、また違った文化遺産が集められてくるでしょう。楽しみです！ &amp;nbsp;&amp;nbsp;各班の情報共有の様子

&amp;nbsp;

　今日、参画していただいた皆さま、お疲れさまでした。

　また今日、ご都合の関係で参画できなかった皆さま、次の機会には参画のほどよろしくお願いいたします。</description>
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    <title>秋月街道に向けて「基山町から小郡松崎宿へ」</title>
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    <dc:date>2023-02-26T08:09</dc:date>
    <description>去年は、福岡ー日田間の朝倉街道を無事踏破させてもらいました。今年からは、長崎街道より更に歴史が古い「秋月街道」を歩いてみたいと思います。秋月街道の道筋は資料によりますと小郡市の松崎宿から小倉の常盤橋までとされております。 私たちの地元、基山の先人の人たちは英彦山参りとして、この秋月街道の一部を使っていたと伝え聞いています。そこで、私達もその先人達が歩いたであろう足跡をなぞられたと思い今回の街道歩きは秋月街道を選ばせてもらいました。 この日に集まったメンバーでスタート地点の関屋土塁跡にて 今回の歩きのスタート地点は基山町を通る長崎街道から分岐する関屋土塁跡がある、国道３号線の上町交差点から東南に進む、地元では「博多道」と言われる元禄絵図にもある道なりを基山ラジウム温泉の方面に進みます。 基山ラジウム温泉の手前の法泉寺を通過します。 基山町境を越え、小郡市に入り小郡自衛隊前を通り大原中学校西の交差点を左折住宅街を抜け、高速道を通過し小郡市内の祇園町へ入ります。 小郡市、素盞嗚神社（祇園神社）にて この素盞嗚神社からの古道は、二手に分かれ小郡市内の南側を通るルートと、北側を通るルートとなり２つのルートは、大刀洗の山隈付近で合流しますので今回は、行きを南側で帰りを北側を歩きたいと思います。 小郡市内の小板井の住宅が並ぶ道を進みます。 交差する七夕通りを渡り七夕神社方面へ進みます。 七夕神社へ到着。ここで小休止させてもらいました。 再出発し、下岩田方面へ 下岩田交差点には、追分石がありました。 追分石から進み、すぐに一里塚跡があります。  松崎へ入り、松崎宿の南構口があり道の両脇に石垣も残っています。 松崎宿の街並みですが当時からのものではなさそうですが過去、お店であろう古い建物が残っています。 枡形の通りを抜け、旅籠油屋にこの旅籠油屋は江戸時代の建物を解体し復元保存したもので当時の佇まいが、そのまま残されています。 旅籠屋からすぐに右折し北構口へ こちらの構口も当時の石垣が残されています。 この北構口を抜けると県道５００号線が秋月街道の道筋となります。 ここから、小郡インター南の交差点を西大刀洗へと進みます。 大刀洗町十文字の交差点を過ぎスーパーのマミーズと１００円ショップ裏が今回の復路となる小郡市内の祇園町、素盞嗚神社へつながる北側のルートの合流地点となります。このルートにて、小郡市内へ折り返したいと思います。 甘木鉄道の線路を渡り、小郡インター方面へ戻り進みます。インターを通り過ぎ井上廃寺跡へ 廃寺跡には、大きな猿田彦さまが立っていました。 廃寺跡を西に進み宝満川に来ました。この付近は、当時の道筋が残されていませんので一度、道を５００号線へそれますがその途中に、大正時代の大板井橋の橋柱が残されていました。 ５００号線から、街道道筋へ戻り七夕通りを再度渡ります。 七夕通りから、西鉄電車線路へそして、自動車学校横を通り住宅街へ入ります。 高速道をくぐり、祇園町へ戻って来ました。 そして、５００号線の素盞嗚神社横に出てきて北側のルートの終点となります。 今回の歩きは、ここで終了となります。 今回は、秋月街道を松崎宿から、わずかだけ歩いたことになりますが基山からの先人たちが、英彦山参りで歩いた道を少しなりとも、なぞられと事に時代を越えての追体験出来たことに意味を感じたいと思います。 次回は、西太刀洗から秋月までの工程を予定しております。</description>
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    <title>日田街道「夜明ー日田」</title>
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    <dc:date>2022-11-16T09:02</dc:date>
    <description>11月に入りやっと暑さも和らぎ、すっかり歩きやすくなりました。そこで、11月13日に今回の街道歩き、ゴール地となる日田街道（朝倉街道）夜明から日田間を歩いて来ました。 朝８時半過ぎに、JR久大線「夜明駅」にて この日の朝はスタート時点では霧雨が降っていましたが傘で凌げそうなので気にせずに駅から、前回歩き終えたゴール地点まで戻ります。 その途中の「志賀神社」にて道中の安全をお参りさせてもらいました。 前回のゴール地点から本日のスタートを切るとすぐに猿田彦大神がおられましたですので、ココは街道沿いで間違いないと思われます。 猿田彦さんから右に折れ高速道路沿いの集落に向かって進みます。 高速道路沿いを進みますがどうやら、高速道路敷設時に当時の道なりは、かなり消滅しているようです。 そして、一時間ほど歩き途中の「萩尾公園」にて小休止しました。 足を進めると高速道をそれ、しばらくすると左手には、雲に隠れた英彦山の山々が遠望できました。 ココから先は、日田市内へ一気に下りとなります。 下りの途中には、木材市場があり見渡す限り一面の杉材を置かれてあり目を奪われてしまいました。 平地に降りてきましたがちょっと、街道を外れて「星隈神社」に寄り道です。 こちらにも、猿田彦さんがおられその後ろには、阿蘇山の火砕流と思われる地層が見れました。 道を街道筋に戻り久大本線沿いを市内に向かって進みます。 国道212号を横断すると永山城跡まであと少しです。 永山城に到着しましたが街道道筋は、豆田地区を通り三本松まで続きます。 この日は、日田「千年あかり」のお祭りの最中でした。日没には、すべての灯籠に火が灯るようです。 お昼ごろの豆田地区では、賑わいを見せていました。 そして、ゴール地点の三本松に到着。 具体的な三本松のスポットがありませんでしたで交差点名のこの地を勝手ながらゴールとしました。 今回、日田往還朝倉街道を福岡城から日田までコロナ禍の中約2年を掛け歩きましたが地元基山の地からは少し外れていますが今回もまた、新たな見聞や史跡を自分の目や脚で感じて、少しでも当時歩いた方の気持ちに近づけたかと思っています。 日田往還朝倉街道完歩　2022年11月13日</description>
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    <title>おもてなしの心</title>
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    <dc:date>2022-08-24T09:16</dc:date>
    <description>　本日、来る８月２８日（日）に基山町教育委員会主催事業として取り組まれる『歴史探訪』にあたり、トレッキングコース上の文化遺産清掃が、当会有志の皆さんのボランティア活動によって行われました。

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　事の発端は、『歴史探訪』の文化遺産の解説を当会が担ったことから、事前の下見を行った会長以下、会員諸氏があまりにも繁茂した草に覆われた文化遺産に、「おもてなしの心」がないと感じられ、基山町民の心意気を見せなければとの思いから始まったのです。 　草に覆われた長崎街道碑01（作業前）　長崎街道碑01（草刈り作業の様子）　綺麗になった長崎街道碑01 　草に覆われた長崎街道碑02（作業前）　綺麗になった長崎街道碑02

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　即実行に移された会員諸氏の皆さまの行動力には心より敬服するとともに、「できることを持ち寄る」協働の実践として心より深く感謝いたします。 　暑い中、作業に従事していただいた皆さま、お疲れさまでした。

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　綺麗になった我が町基山の宝たちも、喜んでくれています。

　当日は、綺麗になり誇らしげに建っている文化遺産たちを、来訪者の皆さま方に紹介してください。

&amp;nbsp;

　ありがとうございました。</description>
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    <title>日田街道「山田堰-夜明」</title>
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    <dc:date>2022-05-01T03:21</dc:date>
    <description>雨の心配をしていた４月24日に日田街道の朝倉の山田堰から日田の夜明までを歩いて来ました。 スタートするまで残っていた雨も上がり前回のゴール地点の山田堰の向かいにある恵蘇八幡神社がスタート地点です。 平成２９年の九州北部豪雨から５年ほど経ちますが今なお、河川工事が行われています。 山田堰から国道386号線を進んで来ましたが高速道路の高架と交差する本陣橋交差点から、左手に進み国道から逸れ進みます。 この道の左右は古い集落のようですがとにかく、祠が民家の道沿いに多く祀られておりそれを見るため、私達も道を右往左往です。 こちらは、恵比須さんと猿田彦さんです。 中にはお地蔵さんもおられますがこんな雰囲気で、道沿いに祀られています。 途中、須賀神社にお参りして386号線方面へ向かいます。 そして、クルマでは通り慣れた原鶴入り口交差点に出てきました 原鶴入り口交差点過ぎてすぐ街道道筋は左に逸れるとすぐに大膳楠という、大楠を見学。 大楠から、国道を逸れると民家が少なくなり田の中の道を進みます。 途中、街道道筋から離れ一本木の地蔵堂で休憩とします。 休憩を取り、先に進むと街道道筋にはお寺と神社が多くあります。 杷木に入り道筋は３８６号線を交差し国道の反対の集落を進みます。 筑後川沿いに出て対岸の筑後川温泉を望みます。 先に進み息引神という喘息の神様が祀られていました。 その息引神の隣には江戸時代にこの川を渡る渡船場に降りる石段が今も残っていました。 集落を進み再度、386号線へ合流し杷木の神籠石にてお昼休憩としました。 休憩後、386号線を進み県境へ目指します。 途中、見かけた阿蘇神社に寄り道です。 阿蘇神社からすぐに県境を越え、大分の日田市に入りました。現在の県境には、県境標が今もありました。 日田市に入り、夜明ダムはすぐですが新櫛崎トンネルの手前の交差点から左手に逸れ、高速道路の方向へ進みます。 街道道筋は、集落内の小道が当時の道筋ですが現在は消えつつあり、全てをなぞることはできませんので事前に日田市役所でお聞きした、現在の道を進みます。 途中の有王社を通過 できる限り、当時の道筋を辿りたいのですが現在では消失しており道を辿れませんので高速道の脇道を進みます。 高速道まで一気に上りすぐに降りるのをこの先、数回繰り返し、体力を削られます。 やっと、現在の道路道へ降りてきました。 386号線に戻り、今回のゴール地点の夜明駅に到着です。 今回のルートはクルマでは幾度となく通り知っていた道なのですが改めて歩いて見ると国道を逸れると人の生活と当時の道がこんなに残っているとは知りませんでした。 さて、日田まであと一回の行脚で着きそうですが最後の行程も勾配のアップダウンが続きそうです。</description>
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    <title>日田街道「甘木-山田堰」</title>
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    <dc:date>2022-03-24T04:39</dc:date>
    <description>昨年の１０月から滞っていた街道歩きですが第６波の新型コロナ、まん延防止等重点措置が解除されようやく、３月２１日に街道歩きを再開しました。 前回、歩き終わった朝倉市甘木の二日町交差点より今日のスタートです。 画像の交差点を右へ進み、原鶴方面へ進みます。ゆるく曲がった道筋が街道独特の雰囲気を感じます。 しばらく進むと、「甘木山安長寺」に到着こちらには、まさに大きな大楠がありそして、お寺ながら狛犬もおられ神仏習合が残っているようです。 甘木から先、この区間の道沿いはよく、道祖神や猿田彦神が残っており今も尚、祀られています。 朝倉市堤まで来ると街道道筋が国道386号線となりしばらく、この国道を進みます。 国道を進みますがこちらでも大なり小なりの猿田彦神をよく見かけます。 朝倉市三奈木の三所神社に到着 この先、朝倉市大庭から国道から脇に外れ、残る街道筋へ入ります。 朝倉市宮野の恵比須神社を通りますがこの地域は、神社を多く見かけます。 朝倉市比良松に入り福岡地区では「国菊の甘酒」で有名な造り酒屋の前を通りますがその酒屋の白壁が雰囲気を出しています。この地域は平成29年の九州北部豪雨では被害を受け、大変ご苦労された地域となります。 先に進み、大分道の高速道をくぐり朝倉市古毛の老松宮を過ぎます。 朝倉市山田まで来ました。 山田地区の恵蘇八幡宮に到着です。 恵蘇八幡宮前の山田堰に移動 この日は、この山田堰をゴールとし次回はこの地点から、日田を目指したいと思います。</description>
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    <title>日田街道「二日市ー甘木」</title>
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    <dc:date>2021-10-05T09:26</dc:date>
    <description>前回の街道歩きから、さらなる緊急事態宣言により一年近く空きましたが宣言解除後すぐの10月3日に街道歩きを再開いたしました。 今回の歩きは、前回のゴール地の筑紫野市二日市から朝倉市甘木までとさせてもらいます。 朝、８時台に二日市の八幡宮をスタートです。 八幡宮鳥居前にて 一路、甘木に向け二日市市街を進みます。もちろん、周りの建物は当時のものではありませんが道筋は変わりないと思われます。 現在の二日市東小学校は街道の道筋上に建っており、旧日田街道の道筋を表す表示をされていました。 途中、道そばの松尾宮を参拝 更に足を進め、道筋より少し離れたこの地域の名（針摺）由来となった、針摺石を見学お堂を造ってあり、お堂の隣には説明板を設置してありました。 針摺石から、道筋に戻り今回の一番大きな消滅地点の国道３号線とゆめタウン筑紫野付近い到着消滅区間は現在の地図と見比べながら進みます。 現地を見て考察しながら進みますと針摺峠公園がありましたので当時は、丘陵地だったようです。 当時の道筋を探しながら、県道112号の永岡の交差点に出ました。 交差点から宝満山が正面に見えます。 ここからは、国道386号線と変更に進む街道道筋を進みます。 道筋上にある、夜須郡と御笠郡の郡境石に到着 山家を離れるところには番所跡と追分石を通過 針摺からの道には、猿田彦神と石に描かれた恵比寿さんが一緒に並んでいるところをよく見かけました。 石櫃に入ると、薩摩街道との追分石に着きました。 足を進め、当所地区に入り当所神社に立ち寄りました。 いよいよ、甘木に近づき恵比寿神社を通り過ぎます。 甘木川を渡り甘木の道筋を進みます。 そして、今回のゴール地と次回のスタート地点とする二日町の交差点に着き今回の街道歩きは終了となります。 今回のルートは一部消滅区間がありましたがほぼ、当時の道筋が残っており交通量が多い386号線などと平行に進みますので歩きやすい道でした。</description>
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  <item rdf:about="https://kiyama-web.jp/katarou/Diary/Pub/Shosai.aspx?AUNo=307&#38;Pg=1&#38;KjNo=63">
    <title>日田街道・博多街道「中道通り」福岡市ー二日市</title>
    <link>https://kiyama-web.jp/katarou/Diary/Pub/Shosai.aspx?AUNo=307&#38;Pg=1&#38;KjNo=63</link>
    <dc:date>2020-11-23T06:06</dc:date>
    <description>今回の街道歩きは日田街道の福岡市舞鶴から二日市間となります。 福岡市内を通る、日田街道は二筋あり前回歩いた、博多街道（博多区ー板付ー大野城山田）と今回歩く、舞鶴ー大橋ー高宮ー大野城山田の「中道通り」となりさらに今回は、その博多街道と中道通りが繋がった先の大野城市山田から二日市間の行脚となりました。 今回のスタート地点の舞鶴1丁目交差点を南下し警固方面へ 天神西通りを抜け大名付近を進みます。 町並みはすっかり現代の建物ですがひとつ、ふたつほど、二階屋が低い古い建物が目に付きました。 国体道路を横断し今泉を進み「香正寺」に 香正寺を少し進むと猿田彦大神が祀ってありました。 薬院六つ角交差点を通過しビルの隙間が参道になっている宇賀神社に立ち寄ります。 参拝を済ませ、平尾の交差点を過ぎ野間に入り野間八幡宮参道入口の石碑に 少し進み、石投げ地蔵と子侍の井にて小休止とします。 石投げ地蔵から少し進み地禄神社の入り口階段脇の壁には猿田彦大神が埋め込んでありました。 大橋に着き、西鉄大橋駅西口付近を通過し県道31号の日赤通りに出ました。 那珂川と新幹線高架を過ぎてすぐの左の脇道が街道筋となります。 県道とひとつ離れて並行する道を進みます。 井尻を通過し、都市高速をくぐり春日市に入り、さらに桜ヶ丘を進み南福岡駅を目指しますがこの付近で小雨がぱらつき始めます。 雑餉隈にて雨宿りと昼食を取り南福岡駅手前の交差点の道筋を進みます。 15分ほどで、博多街道と中道通りの追分地点に到着。 到着時刻は、ちょうど2時と想定よりも速く着き雨も小康状態ですので、この先へと進むことにします。 追分からすぐ進むと、木造聖観音立像が祀ってありました。 県道112号に出ると雑餉隈恵比寿神社に到着です。 恵比寿神社から進み、すぐの歩道上には御笠・那珂郡境界標跡があります。 県道112号と街道が交差する県道の反対側に渡ると新川の運河跡に出ました。こちらは遊歩道として、整備されておりクルマを気にすることなく歩きやすいです。 先に進むと、牛頸川沿いにあたり再度、県道112号に出て牛頸川を渡り、県道の反対側へと進みます。 画像、正面の道を進みますがその脇には大正末期にレンガにて再建された消防ポンプ格納庫があります。 更に進み、太宰府市に入りました。太宰府では日田街道をプレートで案内されてあります。 水城跡に到着し、画像右の施設の水城館にて休憩させてもらいました。 水城館を出て、県道脇を通る街道を進みしばらくして姿見井を見学 そして、姿見井から近くの衣掛天満宮を参拝 県道を縫うように街道は並行して進み坂本地区を通過し、関屋の恵比寿様に そして、関屋の一の鳥居に到着。 都府楼駅ちかくを過ぎさらに国道3号線の下をくぐり二日市方面へ 途中の王城神社に立ち寄り二日市中心にて、今回のゴールとなります。 今回も、福岡中心からの歩きでしたが前回の博多道とは、また雰囲気が違い大名地区など福岡城に関わる人々が住んでいたせいか町割りも違う印象でした。現在では、建物自体は戦火のせいもあるでしょうがほとんど残ってはいませんが道筋は今も残っており、想像を働かせて辿るのも面白いと感じました。 </description>
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  <item rdf:about="https://kiyama-web.jp/katarou/Diary/Pub/Shosai.aspx?AUNo=307&#38;Pg=1&#38;KjNo=61">
    <title>日田街道「福岡城ー雑餉隈,山田」</title>
    <link>https://kiyama-web.jp/katarou/Diary/Pub/Shosai.aspx?AUNo=307&#38;Pg=1&#38;KjNo=61</link>
    <dc:date>2020-10-28T07:38</dc:date>
    <description>10月25日今回からの街道歩きは、日田街道の福岡市から筑紫野市を経由し、朝倉市、そして日田までのルートを歩きたいと思います。 福岡市を通るルートは2つありそれぞれ「博多街道」「中道通り」となり今回は博多街道を歩きたいと思います。 それでは、今回スタート地点とした福岡城の大手門付近から歩きはじめます。 画像は福岡城、下之橋御門 現在の昭和通り、大手門1丁目（高札場跡）から天神方面へ歩きはじめます。 歩き始めてすぐに、江戸時代から街道筋にある浄念寺に。今や、ビルの合間にあります。 さらに進み、藩校として始まった修猷館跡地に立ち寄りそして、赤坂を過ぎ渡辺通りと交差する、天神橋口交差点を横断し中洲方面へ途中、赤煉瓦文化館と水鏡天満宮に立ち寄りました。 西中島橋から、西中洲を望む ホテルオークラに差し掛かると当時のルートは歩いてきた昭和通りから外れ、ホテルオークラ内を斜めに通るのが道筋だったようです。消滅区間の施設内を通れませんので今回はホテルオークラそばの博多川沿いを迂回し綱場町の町家通りへのルートに復帰します。 復帰後、少しルートを外れ、当時、対馬藩の屋敷があった沖濱神社を見学 本ルートへ戻り昭和通りから、ひとつ外れた通りを綱場町を進みます。 そして、綱敷天満宮に到着。 大博通りを横断し旧上浜口を右折し、寺町方面へ 当時の町家の雰囲気が残る道を進みます。 聖福寺に到着し、少し休憩。 ルートに戻り、東長寺の裏道を進みます。 山笠発祥の地の承天寺を通過。 承天寺から、御笠川方面に向かい川沿いを歩きます。 比恵を過ぎ、県道112号と並行する路地道が街道筋となり、道なりをまっすぐに春日方面へその途中には、いくつもの猿田彦大神が祀ってあります。 この猿田彦さんは、裏書きから平成の時代に建て替えてある模様。 次第に、都会の喧騒から外れた町並みに変化してきます。 雑餉隈付近では、住宅先に猿田彦さんが祀ってありました。 雑餉隈、山田4丁目付近が高宮から来る、「中道通り」との追分となりますが現在は、それを示す遺構などは残っていません。画像は、山田4丁目交差点にあるドコモショップ裏の道です。この道筋正面が高宮方面から来た中道通りとなります。 今回の、歩きはここで終了となります。当時も栄えていた町並みであったと思われる道筋は、ほぼ残っており、町家など建物は残っているものは見受けられませんでしたが神社、お寺は当時の場所で残っていましたので雰囲気を想像しながら、楽しめた道中でした。 歩行距離約20km</description>
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  <item rdf:about="https://kiyama-web.jp/katarou/Diary/Pub/Shosai.aspx?AUNo=307&#38;Pg=1&#38;KjNo=55">
    <title>多良海道「湯江から諫早」</title>
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    <dc:date>2020-10-05T10:13</dc:date>
    <description>10月4日。多良海道の湯江から諫早間を歩いて来ました。今回の歩きにて、多良海道は完歩となり諫早にてゴールとなります。 朝、8時半頃、今回のスタート地点とる湯江駅をスタート 今回のコロナ禍により、前回から半年以上のブランクがありあらためて道筋を確認しつつのスタートです。 駅からしばらくで湯江の高札場跡を通過です。 諫早市では、茶色の案内プレートが所々に設置してあります。 湯江の街道沿いには、多くの六地蔵さまが今もなお往来の人々を見守っておられます。 小江駅付近の一里松跡を通過現在は痕跡はなく住宅になっていました。 続いて、「さかなか坂」に到着 更に進み「ちちゃのん坂」も過ぎ駕籠立場跡からの有明海の展望。 諫早に近づきつつあるのですがまだまだ、稜線を付ききる峠道を進み「桜坂」を通過中急坂の未舗装路には大変苦労します。 さらに2つ目の坂道を超えての下りに、一里塚跡の石垣が残っていました。 そして、またもや藪こぎしながらの峠越えです。 大歳神社に到着し休憩と参拝をさせてもらいました。 肥前長田駅付近に来ると、やっと平地になり田んぼの中の道筋を進みます。 半園川そばの千人塚を通過 諫早市内に入り多良海道のプレートが案内してあります。 本明川そばを歩き安勝寺の大きな楼門を道から見上げます。 2時を過ぎ、諫早神社の向かい岸となる飛び石に到着。 飛び石を進み、正面の諫早神社へ旅の到着のお礼の参拝をさせてもらいこちらをゴール地点としましたので、多良海道と竹崎海道の完歩となりました。 後記としまして、諸説ありのようですが長崎街道より、この多良海道のほうが時代が古いにもかかわらず道筋をよく残してあり。特に、佐賀県側の太良地区では黄色い道標をわかりやすく的確に設置されいることに感服した次第です。所々消失区間もありつつもそれに準ずる迂回路もパンプレットなどの紙面と連動されており道迷いも少なく、そして怪我もなく歩くことができましたことを感謝申し上げます。 今回の歩行距離約19km</description>
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