昨年の10月から滞っていた街道歩きですが
第6波の新型コロナ、まん延防止等重点措置が解除され
ようやく、3月21日に街道歩きを再開しました。

前回、歩き終わった朝倉市甘木の
二日町交差点より今日のスタートです。
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画像の交差点を右へ進み、原鶴方面へ進みます。
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ゆるく曲がった道筋が
街道独特の雰囲気を感じます。

しばらく進むと、「甘木山安長寺」に到着
こちらには、まさに大きな大楠があり
そして、お寺ながら狛犬もおられ
神仏習合が残っているようです。
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甘木から先、この区間の道沿いは
よく、道祖神や猿田彦神が残っており
今も尚、祀られています。

朝倉市堤まで来ると
街道道筋が国道386号線となり
しばらく、この国道を進みます。

国道を進みますが
こちらでも大なり小なりの
猿田彦神をよく見かけます。

朝倉市三奈木の三所神社に到着

この先、朝倉市大庭から
国道から脇に外れ、残る街道筋へ入ります。

朝倉市宮野の
恵比須神社を通りますが
この地域は、神社を多く見かけます。

朝倉市比良松に入り
福岡地区では「国菊の甘酒」で有名な
造り酒屋の前を通りますが
その酒屋の白壁が雰囲気を出しています。
この地域は平成29年の九州北部豪雨では
被害を受け、大変ご苦労された地域となります。

先に進み、大分道の高速道をくぐり
朝倉市古毛の老松宮を過ぎます。

朝倉市山田まで来ました。

山田地区の恵蘇八幡宮に到着です。

恵蘇八幡宮前の山田堰に移動

この日は、この山田堰をゴールとし
次回はこの地点から、
日田を目指したいと思います。
前回の街道歩きから、さらなる緊急事態宣言により
一年近く空きましたが
宣言解除後すぐの10月3日に街道歩きを再開いたしました。

今回の歩きは、前回のゴール地の筑紫野市二日市から
朝倉市甘木までとさせてもらいます。

朝、8時台に二日市の八幡宮をスタートです。

八幡宮鳥居前にて

一路、甘木に向け二日市市街を進みます。
もちろん、周りの建物は当時のものではありませんが
道筋は変わりないと思われます。

現在の二日市東小学校は街道の道筋上に建っており、
旧日田街道の道筋を表す表示をされていました。

途中、道そばの松尾宮を参拝

更に足を進め、道筋より少し離れた
この地域の名(針摺)由来となった、針摺石を見学
お堂を造ってあり、お堂の隣には
説明板を設置してありました。

針摺石から、道筋に戻り
今回の一番大きな消滅地点の国道3号線と
ゆめタウン筑紫野付近い到着
消滅区間は現在の地図と見比べながら進みます。

現地を見て考察しながら進みますと
針摺峠公園がありましたので
当時は、丘陵地だったようです。

当時の道筋を探しながら、県道112号の永岡の
交差点に出ました。

交差点から宝満山が正面に見えます。

ここからは、国道386号線と変更に進む
街道道筋を進みます。

道筋上にある、夜須郡と御笠郡の郡境石に到着

山家を離れるところには
番所跡と追分石を通過

針摺からの道には、猿田彦神と
石に描かれた恵比寿さんが一緒に
並んでいるところをよく見かけました。

石櫃に入ると、薩摩街道との
追分石に着きました。

足を進め、当所地区に入り
当所神社に立ち寄りました。

いよいよ、甘木に近づき
恵比寿神社を通り過ぎます。

甘木川を渡り
甘木の道筋を進みます。

そして、今回のゴール地と次回のスタート地点とする
二日町の交差点に着き
今回の街道歩きは終了となります。

今回のルートは一部消滅区間がありましたが
ほぼ、当時の道筋が残っており
交通量が多い386号線などと平行に進みますので
歩きやすい道でした。
今回の街道歩きは
日田街道の福岡市舞鶴から二日市間となります。

福岡市内を通る、日田街道は二筋あり
前回歩いた、博多街道(博多区ー板付ー大野城山田)と
今回歩く、舞鶴ー大橋ー高宮ー大野城山田の
「中道通り」となり
さらに今回は、その博多街道と中道通りが繋がった先の
大野城市山田から二日市間の行脚となりました。

今回のスタート地点の
舞鶴1丁目交差点を南下し警固方面へ
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天神西通りを抜け
大名付近を進みます。
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町並みはすっかり現代の建物ですが
ひとつ、ふたつほど、二階屋が低い
古い建物が目に付きました。
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国体道路を横断し
今泉を進み「香正寺」に
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香正寺を少し進むと
猿田彦大神が祀ってありました。
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薬院六つ角交差点を通過し
ビルの隙間が参道になっている
宇賀神社に立ち寄ります。
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参拝を済ませ、平尾の交差点を過ぎ野間に入り
野間八幡宮参道入口の石碑に
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少し進み、石投げ地蔵と
子侍の井にて小休止とします。
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石投げ地蔵から少し進み
地禄神社の入り口階段脇の壁には
猿田彦大神が埋め込んでありました。
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大橋に着き、西鉄大橋駅西口付近を通過し
県道31号の日赤通りに出ました。

那珂川と新幹線高架を過ぎて
すぐの左の脇道が街道筋となります。
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県道とひとつ離れて並行する道を進みます。
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井尻を通過し、都市高速をくぐり
春日市に入り、さらに桜ヶ丘を進み
南福岡駅を目指しますが
この付近で小雨がぱらつき始めます。

雑餉隈にて雨宿りと昼食を取り
南福岡駅手前の交差点の道筋を進みます。
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15分ほどで、博多街道と中道通りの
追分地点に到着。
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到着時刻は、ちょうど2時と想定よりも速く着き
雨も小康状態ですので、この先へと進むことにします。

追分からすぐ進むと、
木造聖観音立像が祀ってありました。
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県道112号に出ると
雑餉隈恵比寿神社に到着です。
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恵比寿神社から進み、すぐの歩道上には
御笠・那珂郡境界標跡があります。
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県道112号と街道が交差する
県道の反対側に渡ると
新川の運河跡に出ました。
こちらは遊歩道として、整備されており
クルマを気にすることなく歩きやすいです。
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先に進むと、牛頸川沿いにあたり
再度、県道112号に出て
牛頸川を渡り、県道の反対側へと進みます。
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画像、正面の道を進みますが
その脇には大正末期にレンガにて再建された
消防ポンプ格納庫があります。

更に進み、太宰府市に入りました。
太宰府では日田街道を
プレートで案内されてあります。
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水城跡に到着し、画像右の施設の
水城館にて休憩させてもらいました。
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水城館を出て、県道脇を通る街道を進み
しばらくして姿見井を見学
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そして、姿見井から近くの
衣掛天満宮を参拝
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県道を縫うように街道は並行して進み
坂本地区を通過し、関屋の恵比寿様に
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そして、関屋の一の鳥居に到着。
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都府楼駅ちかくを過ぎ
さらに国道3号線の下をくぐり二日市方面へ
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途中の王城神社に立ち寄り
二日市中心にて、今回のゴールとなります。
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今回も、福岡中心からの歩きでしたが
前回の博多道とは、また雰囲気が違い
大名地区など福岡城に関わる人々が住んでいたせいか
町割りも違う印象でした。
現在では、建物自体は戦火のせいもあるでしょうが
ほとんど残ってはいませんが
道筋は今も残っており、想像を働かせて辿るのも
面白いと感じました。

10月25日
今回からの街道歩きは、日田街道の福岡市から
筑紫野市を経由し、朝倉市、
そして日田までのルートを歩きたいと思います。

福岡市を通るルートは2つあり
それぞれ「博多街道」「中道通り」となり
今回は博多街道を歩きたいと思います。

それでは、今回スタート地点とした
福岡城の大手門付近から歩きはじめます。

画像は福岡城、下之橋御門
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現在の昭和通り、大手門1丁目(高札場跡)から
天神方面へ歩きはじめます。

歩き始めてすぐに、
江戸時代から街道筋にある浄念寺に。
今や、ビルの合間にあります。
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さらに進み、
藩校として始まった修猷館跡地に立ち寄り
そして、赤坂を過ぎ
渡辺通りと交差する、天神橋口交差点を横断し
中洲方面へ
途中、赤煉瓦文化館と
水鏡天満宮に立ち寄りました。

西中島橋から、西中洲を望む
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ホテルオークラに差し掛かると
当時のルートは歩いてきた昭和通りから外れ、
ホテルオークラ内を斜めに通るのが道筋だったようです。
消滅区間の施設内を通れませんので
今回はホテルオークラそばの博多川沿いを迂回し
綱場町の町家通りへのルートに復帰します。

復帰後、少しルートを外れ、
当時、対馬藩の屋敷があった沖濱神社を見学
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本ルートへ戻り
昭和通りから、ひとつ外れた通りを
綱場町を進みます。
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そして、綱敷天満宮に到着。
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大博通りを横断し
旧上浜口を右折し、寺町方面へ

当時の町家の雰囲気が残る道を進みます。
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聖福寺に到着し、少し休憩。
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ルートに戻り、東長寺の裏道を進みます。

山笠発祥の地の承天寺を通過。
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承天寺から、御笠川方面に向かい
川沿いを歩きます。
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比恵を過ぎ、県道112号と並行する路地道が
街道筋となり、道なりをまっすぐに春日方面へ
その途中には、いくつもの
猿田彦大神が祀ってあります。

この猿田彦さんは、裏書きから
平成の時代に建て替えてある模様。
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次第に、都会の喧騒から外れた
町並みに変化してきます。
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雑餉隈付近では、住宅先に
猿田彦さんが祀ってありました。
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雑餉隈、山田4丁目付近が
高宮から来る、「中道通り」との
追分となりますが
現在は、それを示す遺構などは残っていません。
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画像は、山田4丁目交差点にある
ドコモショップ裏の道です。
この道筋正面が高宮方面から来た
中道通りとなります。

今回の、歩きはここで終了となります。
当時も栄えていた町並みであったと思われる道筋は、
ほぼ残っており、
町家など建物は残っているものは見受けられませんでしたが
神社、お寺は当時の場所で残っていましたので
雰囲気を想像しながら、楽しめた道中でした。

歩行距離約20km
10月4日。多良海道の湯江から諫早間を歩いて来ました。
今回の歩きにて、多良海道は完歩となり諫早にてゴールとなります。

朝、8時半頃、今回のスタート地点とる
湯江駅をスタート
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今回のコロナ禍により、前回から半年以上のブランクがあり
あらためて道筋を確認しつつのスタートです。

駅からしばらくで湯江の高札場跡を通過です。
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諫早市では、茶色の案内プレートが所々に設置してあります。
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湯江の街道沿いには、多くの六地蔵さまが
今もなお往来の人々を見守っておられます。
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小江駅付近の一里松跡を通過
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現在は痕跡はなく住宅になっていました。

続いて、「さかなか坂」に到着
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更に進み「ちちゃのん坂」も過ぎ
駕籠立場跡からの有明海の展望。
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諫早に近づきつつあるのですが
まだまだ、稜線を付ききる
峠道を進み「桜坂」を通過中
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急坂の未舗装路には大変苦労します。

さらに2つ目の坂道を超えての
下りに、一里塚跡の石垣が残っていました。
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そして、またもや藪こぎしながらの
峠越えです。
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大歳神社に到着し
休憩と参拝をさせてもらいました。
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肥前長田駅付近に来ると、やっと平地になり
田んぼの中の道筋を進みます。
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半園川そばの千人塚を通過
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諫早市内に入り
多良海道のプレートが案内してあります。
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本明川そばを歩き
安勝寺の大きな楼門を道から見上げます。
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2時を過ぎ、諫早神社の向かい岸となる
飛び石に到着。
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飛び石を進み、正面の諫早神社へ
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旅の到着のお礼の参拝をさせてもらい
こちらをゴール地点としましたので、
多良海道と竹崎海道の完歩となりました。

後記としまして、
諸説ありのようですが
長崎街道より、この多良海道のほうが
時代が古いにもかかわらず
道筋をよく残してあり。
特に、佐賀県側の太良地区では
黄色い道標をわかりやすく的確に
設置されいることに感服した次第です。
所々消失区間もありつつも
それに準ずる迂回路も
パンプレットなどの紙面と連動されており
道迷いも少なく、そして怪我もなく
歩くことができましたことを感謝申し上げます。

今回の歩行距離約19km