中3英語の教科書にパラリンピックが載っていたので、なぜパラリンピックというか調べました。公式にはオリンピック(Olympic)と並行して(parallel)行なわれるという意味のようです。この "para-" は私の解釈では「近くて遠い微妙な関係」を表しているように思います。平行線(parallel)は、まさに「並んでいながら交わらない微妙な関係」です。
放物線(parabola)は、ちょっと遠くに物を投げる感じ。数学的には楕円でも双曲線でもない微妙な曲線です。変数(parameter)は値が変化して、近くなったり遠くなったり。段落(paragraph)は近い意味の文が集まって、隣の段落とはちょっと意味的な距離がある。寄生(parasite)は違う生物でありながら宿主の生物の中で生きている。防虫剤のパラゾール(正式名paradichlorobenzen)は一つのベンゼン分子の離れた場所に2個の塩素原子がくっついている…。ちなみにパラシュート(parachut)や日傘(parasol)は「守る」という別の意味からきているらしいです。
パラリンピックも元々は「麻痺」を意味する単語が元になったという話もあります。そういえばSF映画で敵を麻痺させる銃をパラライザーとかいいます。自分の体でありながら、思い通りにならない、近くて遠い感じが"para"なのでしょう。東京オリンピック・パラリンピックも東京の方では盛り上がってるみたいですが、佐賀に住んでいると"para"に思えるのは私だけでしょうか。
日本対ポーランド戦について「結果がすべて」とか「スポーツらしくない」とか賛否両論あるようですが、これ以上攻めないという作戦を選択するまでの経緯にも注目したいと思います。西野監督が日本の試合中にセネガルの試合を見ていたとは思えないので、誰かセネガル戦担当者がいてセネガルが同点に追いつく可能性を判断していたのではないかと推察されます。同点に追いつく可能性をどのくらいと見積もっていたか、またそれはどういう根拠か、その上で攻めない選択が決勝トーナメントに行くための最良の選択だったかは検証してほしいと思います。
一方、入試も「結果がすべて」ではあるので、たとえわからない問題でも選択問題はすべて答を記入するというのはアリでしょう。しかしまったくあてずっぽうで答を書くのではなく。選択肢を一つでも減らして確率を高くする努力を普段のテストのときからやっているかどうか、それが大事だと思います。