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月1回の定例会議を行いました。

豪雨被害により、基山・基肄城のガイドは当面の間、行えませんが
その他の基山町内のスポットは、今まで通りご案内しております。
11月には、福岡からのお客様のガイド依頼内容を確認させてもらいました。

来月9月23日に行われる、基山町のお祭りのひとつの
御神幸祭(みつきまつり)が町内の荒穂神社にて行われます。
その、お祭り内のアナウンスを
去年同様、案内させていただきます。
月一の定例ガイド会議を行いました。
ガイド依頼の周知、予定事項等の連絡。
そして、個人発表として、歴史などに拘らす
各自の調査や知識をテーマとし、
発表時間を決めて講話をする事を行っています。
みなさん、話が進み時間内には終わらず
それでも聞く方は、感嘆の声と笑い声に包まれる
時間を過ごしています。
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6月24日、小倉に向けての長崎街道歩きの2日目に行って来ました。
前回のゴール地点の筑前山家駅まででしたので、
基山駅からの列車移動となります。

今回のコースは筑紫野市の山家から冷水峠を越えて、
飯塚市の内野までの約14km。

今回の参加者と、山家駅前のミラー越しの一コマを。。。
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今回は、前回より多く11名で、峠越えをめざします。

山家では、当時の宿場の遺構が残され、
それを案内する掲示板も整備されています。
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今回は、山家出身の方の案内付きで、色濃く道を進みます。

途中での猿田彦の碑には、田植えの時期とあり
稲の苗を供えてありました。
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冷水峠に差し掛かりますが、
現代移動手段は、
200号線をクルマで冷水トンネル通過が主ですが
歩きのスピードでないと気づかない、
山間の風景に出会うことができます。
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当時の道筋をたどるこの道中。
いよいよ、冷水峠が本気を出してきました。。。
舗装路を外れて、草を分け入るルートとなります。
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手元には、当時の道筋を示す地図もありますが
遠き先人と、近し先人が立てた道案内板が
こんな感じで役に立ちます。
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ですが、完全に消滅区間もありますので
草むらの中を進む事も・・・。
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山家駅から約4時間ほどで
冷水峠のピークとなる郡境石と大根地神社入り口に到着。
峠越えの上りが終わり、一安心です。
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今もなお、この群境は市境となり
ここからは、飯塚市内野に向けて下りとなり
当時の雰囲気を感じる石畳の道があります。
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その途中には、首なし地蔵のお堂と
そばを流れる沢に掛かる当時からの石橋が
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お地蔵様のお堂は
内野の方々が近年新たに建てられたとお聞きし
周辺の整備も一緒にされたようで、
以前より日当たりが良く雰囲気が明るくなった印象です。

下の画像は、お堂から上りを見たところです。
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更に進むと、整備された石畳の道や竹林の中を進み
冷水トンネル出口(入口)の脇を通り
30分ほどで、内野に入ります。

内野では、道筋はほぼそのままで
そして、多くの建物が残され町並みの雰囲気が色濃く残っており
それを紹介する、展示館も設けてあります。
その町並みのひとつの長崎屋さんに立ち寄り、
代表者の方から内野の保存や、海外からのお客様への対応
(近頃ではこの内野を目的にお客様が来られるようです)
そして保存活動など多くの、お話をしていただきました。
(こちらの方が中心となり、先程の冷水峠の
お地蔵様のお堂や石畳の整備に取り組まれているとのことでした)

長崎屋の外観
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長崎屋のお庭を見せて戴きました。
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本日の行脚は、ここ内野で終了となります。

今回の見どころはやはり、冷水峠ですが
現代こそ、道路と線路が整備され、往来に不自由はありませんが
200号線の冷水トンネルが出来る前、更には鉄道が引かれる前
そして更に以前には人が荷物を携え、
季節も関係なく往来した姿を感じる事ができました。
現代では、その風土の歴史を保存する人の
取り組みを垣間見た、充実した道中でした。

下記リンクは内野宿のHPです。
基山町には、幕末の偉人も通ったであろう長崎街道が縦断しています。
その、長崎街道の全長は約220km
その道すべては当時のままではありませんが
道筋を辿れば、先人の思いや
当時の町並みや風景を想像できればと思い
基山町を起点とし長崎へ向け歩きはじめました。

そして先月、長崎へ到着し
現代風景と過去の遺構などを見て、感じ
当時の人々の追体験に近づいた感覚に浸ったひと時でした。

さて今回からは、基山から上り方面の小倉に向け再出発となります。
基山駅を朝9時にスタートし、若宮八幡をかすめ
関屋土塁跡、白坂地区を通り、国道3号線の三国境へと向かいます。
この三国境は、江戸時代の筑後国、筑前国、肥前国の境で
その境を示す三国境石が、とある私有地内に現存し、
今回、見学できる機会を得ました。
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江戸時代から残る、その境石は
今もなお変わらぬ場所で、三国を示していました。

国道3号線の佐賀、福岡県境そばにあるのは
二国境石となり、この付近から原田方面へは
一部しか当時の道は残っていません。
ですが、このJR線のレンガ積みの下の道は
今も残る街道となります。
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原田駅周辺は区画整理で道筋の痕跡は消えていますが
長崎街道跡を示す、案内板や雰囲気のある道造りをされており
筑紫神社へと道を繋げてあります。

原田から筑紫野駅周辺を抜け、山家方面へ進みます。
山家では、長崎街道と日田街道が交わる地点に
郡境石が説明板と共に残っていました。
郡境石
長崎街道を歩くと、道のそばにはよく、恵比寿さまが祀ってあり
山家でも地元の方が、守られているお話をして戴きました。

さて、今回のゴール地点の山家宿の西構口に到着です。
白壁が当時のの雰囲気を想像させます。

そして、今回参加のメンバーと構口の画像です。
山家宿構口記念写真

この構口付近には、郡屋敷、下代屋敷跡が残っていました。
山家宿下代屋敷跡
今回は、この地点で終了ですが
山家宿に入ってばかりで、この先も遺構は幾つか残っていますので
次回への楽しみとさせてもらいます。

次回は、長崎街道の難所の一つ、冷水峠越えとなります。
夏が本気を出す前の、山越えはどうなることやら。。。
5月29日 役場職員の方が行われている、自主勉強会に参加させていただきました。
講師の方は、太宰府天満宮 権宮司 西高辻 信宏 様
講義内容 「太宰府天満宮の歴史と未来」をテーマに講義していただきました。

西高辻氏は来年宮司となられるようで、40代目とお聞きしました。
皆さんご存知の太宰府天満宮ですが、長い歴史を尊重しつつ
100年先、1000年先を見据えた新たな試みを取り入れられ
この基山にも参考になるような、お話をして頂けました。

そして、これからの太宰府天満宮に興味津々です。
勉強会