基山町には、幕末の偉人も通ったであろう長崎街道が縦断しています。その、長崎街道の全長は約220km
その道すべては当時のままではありませんが
道筋を辿れば、先人の思いや
当時の町並みや風景を想像できればと思い
基山町を起点とし長崎へ向け歩きはじめました。
そして先月、長崎へ到着し
現代風景と過去の遺構などを見て、感じ
当時の人々の追体験に近づいた感覚に浸ったひと時でした。
さて今回からは、基山から上り方面の小倉に向け再出発となります。
基山駅を朝9時にスタートし、若宮八幡をかすめ
関屋土塁跡、白坂地区を通り、国道3号線の三国境へと向かいます。
この三国境は、江戸時代の筑後国、筑前国、肥前国の境で
その境を示す三国境石が、とある私有地内に現存し、
今回、見学できる機会を得ました。
江戸時代から残る、その境石は
今もなお変わらぬ場所で、三国を示していました。
国道3号線の佐賀、福岡県境そばにあるのは
二国境石となり、この付近から原田方面へは
一部しか当時の道は残っていません。
ですが、このJR線のレンガ積みの下の道は
今も残る街道となります。
原田駅周辺は区画整理で道筋の痕跡は消えていますが
長崎街道跡を示す、案内板や雰囲気のある道造りをされており
筑紫神社へと道を繋げてあります。
原田から筑紫野駅周辺を抜け、山家方面へ進みます。
山家では、長崎街道と日田街道が交わる地点に
郡境石が説明板と共に残っていました。
長崎街道を歩くと、道のそばにはよく、恵比寿さまが祀ってあり
山家でも地元の方が、守られているお話をして戴きました。
さて、今回のゴール地点の山家宿の西構口に到着です。
白壁が当時のの雰囲気を想像させます。
そして、今回参加のメンバーと構口の画像です。
この構口付近には、郡屋敷、下代屋敷跡が残っていました。
今回は、この地点で終了ですが
山家宿に入ってばかりで、この先も遺構は幾つか残っていますので
次回への楽しみとさせてもらいます。
次回は、長崎街道の難所の一つ、冷水峠越えとなります。
夏が本気を出す前の、山越えはどうなることやら。。。