10月13日
今年の第3回きやま創作劇「草莽(そうもう)の民」の劇中に出てくる
基山町内のゆかりの地を劇出演者の子供たちと、その保護者の方々を対
象とし、総勢60名ほどを案内させてもらいました。

今回の案内スポットは、劇中に登場する「基山(きざん)先生」こと
野田昌隆氏の私塾「対翠楼(たいすいろう)義塾」跡。そして基山町
内を通る、長崎街道にゆかりの三国境石&二国境石と、街道沿線の逸
話や今も残る遺構などを、歩きながらの案内となりました。

事前に「子供向けの説明を」との事でしたが子供たちは、すでに劇の
練習中に名前や人間像の知識があり説明する間もなく、子供たちが答
えてしまうひとコマも。。。
保護者の方は、今も残る長崎街道の道筋や過去存在した商店などに興
味を持たれていました。

今回、実際にそのスポットを訪れ、台本などの紙上では感じる事がで
きなかった臨場感を感じ劇中に活かせて貰えれば幸いです。

参加してくれた皆さん、基肄かたろう会の皆さん、お疲れ様でした。

■対翠楼義塾跡にて解説の様子
(ご当主の野田様も同席していただきました。)
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■長崎街道・旧白坂町にある
猿田彦大神碑と庚申尊天碑にて解説の様子
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今年も、きやま創作劇が公演されます。

タイトル『草莽(そうもう)の民 ー明治基山に生きた人達ー』
日時:12月9日(日)
場所:基山町民会館 大ホール
入場:無料
詳細はWEBの駅「きやま創作劇」を御覧ください。
きやま創作劇ホームページリンクはこちら

 去る102日、基山町内を通る長崎街道を、西日本新聞社鳥栖支局の記者さんにガイドしました。


 基肄かたろう会で作成したパンフレット、「草莽の民の舞台を歩く」を片手に約4kmを歩き、我が町基山は、江戸時代は宿場町ではありませんが、国境の町ならではの苦労話や争論等について説明し、今も残る二国境の碑の周辺は、その様子が良くわかるところとして見ていただきました。


 白坂地区は当時の街道の雰囲気が今も残り、「ゾウや明治の偉人も歩いた道は基山の自慢です。」などをガイドしつつ歩きました。


白坂町01

■白坂町(猿田彦大神碑と庚申尊天碑)

※猿田彦大神碑は、かつてもう少し南にある萩原越えへの道との分岐にあったそうです。


 今回、新聞を通じて我が町基山のことを広く発信して頂けることで、基山町の歴史の面白さと、併せて、来たる129日(日)に公演される、第3回きやま創作劇「草莽の民 ー明治基山に生きた人達ー」も宣伝していただきました。


 創作劇の時代的背景、そして何より創作劇の感動が、より多くの方々に伝わる事を願いつつ、こちらも楽しいガイドとなりました。 

                        (文責 おは) 


 その時の記事は、平成30年(20181018日(木)付け西日本新聞【佐賀版】朝刊第22面に掲載されています。ご覧になりたい方は、基山町立図書館(過去2年分は閲覧できます。)はじめ、最寄りの公立図書館にて閲覧できますので、ご覧ください。

 ※著作権の関係上、新聞記事を転載できません。お許しください。




27日、月一回に定例ガイド会議を行わせてもらいました。
今回は、新人見習いのお二方を迎え
23日に行われた、荒穂神社の御神幸祭(みゆきま2つり)
での奉納芸能アナウンスでの反省点と、次回に次ぐ提案を話し合いました。

10月には、2件のガイド依頼を頂いており
更には、10月13日に開催の
きやま創作劇「草莽(そうもう)の民」の舞台を歩くのコース選別等
そして、メンバー内での自主学習自業の発表を行いました。
毎年、秋分の日は、基山では通称「どんきゃんきゃん」と親しまれる。
荒穂神社の御神幸祭が行われます。

御神幸祭の早朝に、神様が神輿に乗って、同じ町内の御仮殿(おかりでん)「基山町憩いの家隣の社殿」までお出になり、また荒穂神社までお帰りになる行事です。
御仮殿では、一年の豊作の願いと感謝の奉納芸能として、災払、鉦風流、獅子舞、大名行列が奉納されます。
これに際し、観客の皆さまに芸能の由来や役目などを説明させてもらいました。
郷土色豊かな祭りの風情を楽しんでいただく、一助になれたのではと思います。

大名行列の演舞(白羽熊)
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獅子舞
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アナウンスの様子
かたろう会記録01



熱中症の危惧から、夏の時期はお休みしていました
長崎街道歩きを15日に再開させてもらいました。

今回は、前回のゴール地点の筑前内野からの再開となり
内野から飯塚までの行程です。

移動方法は公共機関を利用していますが
7月の豪雨被害により、筑豊本線が不通となっており
原田駅からの代行バスにて、内野へ向かいます。

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今回は、この写真の撮影者を含めて8名での歩行となります。

筑前内野駅です。列車の往来がない駅舎が佇んでいます。
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今回の歩きの中で、いくつかの被害箇所を見かけました。
いち早くの復旧を望みます。

内野地区は国道200号線と並行するように
街道の道筋が残っています。

画像は、残る街道上から
現代の道路(国道200号線)を望みます。
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暫く歩くと、横山峠の横山の切通を通過
集落の境目なのでしょうか、しめ縄が掛けられています。
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穂波地区界隈に愛宕神社があり
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神社鳥居の近くには
愛宕之池水神が祀られており
近隣の方でしょうか、きれいに手入れさせていました。
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そして、穂波の中心に入ると
大きな神社の老松神社が道沿いにあります。
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この穂波と桂川地区の長崎街道は
2つのルートがあり、古い町並みが残るルートと
現在の国道200号線を沿うルートですが
お互いの道は途中合流し飯塚へと向かいます。
(町並みを通るルートのほうが古いルートのようです)

今回は2つのルートを周り、当時の雰囲気を堪能してきました。

旧町並みを通るルート上には
一里塚跡があり、当時を想像させられますね。
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桂川駅を進み、国道200号線を超えると
長崎街道、秋月街道の分岐点と
瀬戸の渡しを通過します。
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案内板にある、一里塚を探してみましたが
痕跡すら見つけられませんでした。

歩いてみて、この地域の地域名が、寿命(じゅめい)
天道(てんとう)楽市(らくいち)など
文字だけをみれば、いろんな想像を掻き立てられます。

そして、この地区に玄関先には
こんな藁で編まれたブーメランの形をしたものを吊るされています。

画像は、天道の街中の酒屋さんに吊るされてたものです。
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このお店の方にお尋ねすると
苞(つと)というもので、
6月30日から翌1日の飯塚山笠の
お汐井とりの行事内で採った川砂を
この苞に入れ、災い除けや、無病息災を祈願して吊るされるとのことです。

行程は進み、天道駅を通過し街中を離れ
飯塚駅付近をゴール地点とし、
今回の歩行距離は、約20km超えでの終了となりました。
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内野から飯塚までは、失礼ながら、地図を見るだけでは
気になるようなものはありませんでしたが
実際、その土地を訪れ散策してみると
目につくものや、地形や河川からの田畑の発展具合や
苞にしても地域性があり、あらためて
街道歩きの面白さを感じさせてもらいました。

次回は、7月の飯塚から直方間の予定です。

飯塚観光協会のHPには
飯塚を通る、長崎街道を案内されたページを用意されています。
よろしければ、参考にされてください。