熱中症の危惧から、夏の時期はお休みしていました長崎街道歩きを15日に再開させてもらいました。
今回は、前回のゴール地点の筑前内野からの再開となり
内野から飯塚までの行程です。
移動方法は公共機関を利用していますが
7月の豪雨被害により、筑豊本線が不通となっており
原田駅からの代行バスにて、内野へ向かいます。
今回は、この写真の撮影者を含めて8名での歩行となります。
筑前内野駅です。列車の往来がない駅舎が佇んでいます。
今回の歩きの中で、いくつかの被害箇所を見かけました。
いち早くの復旧を望みます。
内野地区は国道200号線と並行するように
街道の道筋が残っています。
画像は、残る街道上から
現代の道路(国道200号線)を望みます。
暫く歩くと、横山峠の横山の切通を通過
集落の境目なのでしょうか、しめ縄が掛けられています。
穂波地区界隈に愛宕神社があり
神社鳥居の近くには
愛宕之池水神が祀られており
近隣の方でしょうか、きれいに手入れさせていました。
そして、穂波の中心に入ると
大きな神社の老松神社が道沿いにあります。
この穂波と桂川地区の長崎街道は
2つのルートがあり、古い町並みが残るルートと
現在の国道200号線を沿うルートですが
お互いの道は途中合流し飯塚へと向かいます。
(町並みを通るルートのほうが古いルートのようです)
今回は2つのルートを周り、当時の雰囲気を堪能してきました。
旧町並みを通るルート上には
一里塚跡があり、当時を想像させられますね。
桂川駅を進み、国道200号線を超えると
長崎街道、秋月街道の分岐点と
瀬戸の渡しを通過します。
案内板にある、一里塚を探してみましたが
痕跡すら見つけられませんでした。
歩いてみて、この地域の地域名が、寿命(じゅめい)
天道(てんとう)楽市(らくいち)など
文字だけをみれば、いろんな想像を掻き立てられます。
そして、この地区に玄関先には
こんな藁で編まれたブーメランの形をしたものを吊るされています。
画像は、天道の街中の酒屋さんに吊るされてたものです。
このお店の方にお尋ねすると
苞(つと)というもので、
6月30日から翌1日の飯塚山笠の
お汐井とりの行事内で採った川砂を
この苞に入れ、災い除けや、無病息災を祈願して吊るされるとのことです。
行程は進み、天道駅を通過し街中を離れ
飯塚駅付近をゴール地点とし、
今回の歩行距離は、約20km超えでの終了となりました。
内野から飯塚までは、失礼ながら、地図を見るだけでは
気になるようなものはありませんでしたが
実際、その土地を訪れ散策してみると
目につくものや、地形や河川からの田畑の発展具合や
苞にしても地域性があり、あらためて
街道歩きの面白さを感じさせてもらいました。
次回は、7月の飯塚から直方間の予定です。
飯塚観光協会のHPには
飯塚を通る、長崎街道を案内されたページを用意されています。
よろしければ、参考にされてください。