2019/1/15 長崎街道歩き「小倉に向けて」6日目
今年最初の長崎街道歩きを
1月12日に行いました。
間近までの天気予報では
当日朝までの雨と、気温の低さの
予報に振り回されましたが
歩き始めると、雨具の出番のない天候に恵まれました。
今回は、小倉西区の木屋瀬から
八幡間の歩行(約20キロ)となりました。
今回の参加者は、下記画像の 撮影者の私を含めて6名です。
本日のスタート地点となる木屋瀬の東構口にて
木屋瀬から、標高50m~70mの丘陵を2つ越える道を進み
今では、住宅地内の道筋となっています。
3キロ進み、茶の原一里塚跡が道そばにあり
立派な石碑と説明文があります。
さらに、2キロほど進むと
石坂の急坂(きゅうはん)に到着
この坂道を登りきると
立場茶屋に到着。
こちらには、ガイドの方がおられ
施設の説明と、お茶をいただきました。
来月2月からは、雛人形の展示をされるとのことです。
ちなみに、私達と時間差で入って来られた男性3人組がおられ
私達と同じように、長崎街道を歩いておられ
すでに長崎までに行かれ、今度は小倉までと
私達とまったく同じことをされておられました。
しかも、鳥栖の方々でした。
さらに、足を進ませて小嶺から黒崎までは
県道211号線、200号線と、当時の道筋が
現在では車道4車線になり、さらに都市高速が上を通り
地下は新幹線のトンネルが走るという道の発展を感じます。
現在の黒崎インター交差点
ですが、現在のクルマ道から
枝分かれした、当時の道筋を
見逃さないように進んでいきます。
黒崎に近づいて来ると
幸神の一里塚跡がありました。
この一里塚跡からすぐには
曲里の松並木に到着です。
松並木の中を進み
車道に出ると、そこの交差点名が
「長崎街道入り口」でした。
黒崎駅近くに進むと
黒崎宿西構口跡があります。
黒崎中心を通る街道道筋は
飯塚などと同じように、アーケード街となっています。
黒崎宿は、先の大戦の空襲により建物が焼失しておりますが
代官所跡や人馬継跡などを石碑で場所を示してあります。
黒崎の東構口跡をすぎ
八幡東区に入ると「前田の一里塚跡」があります。
一里塚跡を過ぎ、しばらくで
現在の八幡病院に着き
今回は、ここをゴール地点としました。
八幡区の街道筋には、当時建物や
道の雰囲気を残すものは少なく、
現在でも、道はさらに拡幅され過去のものは
なくなりつつありますが、建物跡などの石碑や
道筋を示す鉄板や陶板を道に残されている努力を感じました。
黒崎での街道の道筋を示すタイル
さて、次回は八幡から小倉までと
ついに長崎街道、全踏破となります。
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