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12月21日。停滞していた長崎街道歩きですが
今年中に、長崎街道を歩き終わりたいと思い
歩かせてもらいました。

長崎街道の残り区間は、塩田から嬉野までの区間ですが
今回は、多良街道から長崎街道に接続する
多良海道の鹿島から塩田までの区間も一緒に
歩くことにしました。

というわけで、今回のスタート地点の
JR肥前鹿島駅からスタートします。

鹿島駅から少し離れた道が
街道になりますが、当時の雰囲気が残る
街中を進みます。
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街中から郊外に出ると
道筋は、車道に開発された時に
変更されているのではと想像しつつ
お昼前に多良海道と長崎街道が交わる
塩田町の追分跡に到着です。
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画像手前から奥に進む道が長崎街道。
(奥が塩田の街中へ)
交差する横断歩道がある右手が歩いてきた
多良海道となり
当時は追分石があったようです。

ここからは、
塩田を離れ、嬉野までを進みます。

長崎街道の武雄北方から嬉野までの
ルートには、多くの六地蔵が残されており
そのほとんどが現在も、
お花やお茶が祀られていました。
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嬉野が近づくと、当時の道筋が
今もよく残っており、当時の河川はよく氾濫し
それを回避するためか
道筋は高台など、平地を避けて通っています。
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小さなアップダウンを繰り返し
嬉野の街中に到着すると
これで、長崎街道の
武雄ルート&塩田ルートを含めて、
長崎から小倉までを完歩となりました。

3年を超えて長崎街道を歩いてきましたが
街並みは当時と変わっていますが
山並みなどの郊外の風景は大きく
変わっていないと思われ
街道からみた風景は当時の人々も
同じものを見ていたと思います。
そう思うと、当時の人の息吹を感じた気がしました。

今回、歩いた経験を元に基山を通る
長崎街道のガイドに活かせたらと思います。

次回は、長崎街道と並行する
肥前山口から諫早までの
多良海道を歩いてみたいと思います。

3月9日、基山町を通る長崎街道
消失区間はあるものの、未だ道筋は健在です。
その街道全部の道筋を
長崎ー小倉間を歩かれている方も見かけます。
残念ながら、市販の書籍には誤った記載もあり
何より、基山にはそれを示す案内板がありません
せっかく訪れて頂けるのでしたら
案内板を設置し、それを目印に
巡って頂きたいとの思いから
今回は基山駅から鳥栖市との市境の今町までを
案内板を設置ポイントを探るべく
他方から来られた方目線で、実際の歩いてみました。

個人的には、幾度となく歩いている街道道筋ですが
歩く回毎に、新たな発見があり、今回も新たな発見と
案内板を設置したいポイントの候補を選ばせてもらいました。
次回は、基山駅から原田方面を選定させてもらいます。

画像は、今町での天満神社にて
境内を清掃されていた地元の方から
神社の生い立ちや、地元周辺のお話を聞かせて頂き
あらためて、歴史を感じる地域だと感じました。
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2月28日 月1回の定例会を行いました。

今回は、3月2日の行われる「小郡ー鳥栖歴史散歩」のサポートの案内
只今作成中の基山町内の「長崎街道を歩く」のマップと
街道筋に残る各スポットの情報のメンバーへの周知。

そして今回、基山のお住まいの方をゲストとしてお招きし
所有されている、基肄城の関する遺物を紹介していただきました。

その遺物からは、基山の基肄城と太宰府の大野城との繋がりを
あらためて感じるものでした。

遺物を間近で見て、説明を聞き入るメンバー
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今年最初の長崎街道歩きを
1月12日に行いました。

間近までの天気予報では
当日朝までの雨と、気温の低さの
予報に振り回されましたが
歩き始めると、雨具の出番のない天候に恵まれました。

今回は、小倉西区の木屋瀬から
八幡間の歩行(約20キロ)となりました。

今回の参加者は、下記画像の 撮影者の私を含めて6名です。

本日のスタート地点となる木屋瀬の東構口にて
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木屋瀬から、標高50m~70mの丘陵を2つ越える道を進み
今では、住宅地内の道筋となっています。

3キロ進み、茶の原一里塚跡が道そばにあり
立派な石碑と説明文があります。
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さらに、2キロほど進むと
石坂の急坂(きゅうはん)に到着
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この坂道を登りきると
立場茶屋に到着。
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こちらには、ガイドの方がおられ
施設の説明と、お茶をいただきました。
来月2月からは、雛人形の展示をされるとのことです。

ちなみに、私達と時間差で入って来られた男性3人組がおられ
私達と同じように、長崎街道を歩いておられ
すでに長崎までに行かれ、今度は小倉までと
私達とまったく同じことをされておられました。
しかも、鳥栖の方々でした。

さらに、足を進ませて小嶺から黒崎までは
県道211号線、200号線と、当時の道筋が
現在では車道4車線になり、さらに都市高速が上を通り
地下は新幹線のトンネルが走るという道の発展を感じます。

現在の黒崎インター交差点
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ですが、現在のクルマ道から
枝分かれした、当時の道筋を
見逃さないように進んでいきます。
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黒崎に近づいて来ると
幸神の一里塚跡がありました。
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この一里塚跡からすぐには
曲里の松並木に到着です。
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松並木の中を進み
車道に出ると、そこの交差点名が
「長崎街道入り口」でした。
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黒崎駅近くに進むと
黒崎宿西構口跡があります。
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黒崎中心を通る街道道筋は
飯塚などと同じように、アーケード街となっています。
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黒崎宿は、先の大戦の空襲により建物が焼失しておりますが
代官所跡や人馬継跡などを石碑で場所を示してあります。
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黒崎の東構口跡をすぎ
八幡東区に入ると「前田の一里塚跡」があります。
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一里塚跡を過ぎ、しばらくで
現在の八幡病院に着き
今回は、ここをゴール地点としました。

八幡区の街道筋には、当時建物や
道の雰囲気を残すものは少なく、
現在でも、道はさらに拡幅され過去のものは
なくなりつつありますが、建物跡などの石碑や
道筋を示す鉄板や陶板を道に残されている努力を感じました。

黒崎での街道の道筋を示すタイル
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さて、次回は八幡から小倉までと
ついに長崎街道、全踏破となります。
 今回は、前回のゴール地点とした直方市の南にある鞍手郡小竹町のJR小竹駅から4人でのスタートです。
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 この日の天候は晴れの予報ながら、最高気温は13度の寒さ。
 行程は、この小竹町から直方市内へ、そして、一級河川の遠賀川を越え、木屋瀬宿をこの日のゴールとしました。
 まずは、初冬の晴れの中、駅前を流れる遠賀川の河川敷を一路北へ進みます。
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 遠賀川沿いは、残念ながら長崎街道の道筋をたどることができないため、当時の道筋を示した地図を頼りに歩みを進めます。すると、河川敷そばに長崎街道跡を示す石碑と馬頭観音像、そしてお堂がありました。「南良津二本松観音堂」とされ、お伊勢参りの送迎場所などの物語が伝えられているそうです(福岡県教委、2003)
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 更に先に進み、ひと駅先の勝野駅周辺にはいります。このあたりは遠賀川から少し離れ、丘陵裾の当時の道筋が残る道を進みます。
 
 手持ちの地図では「南良津唐戸」と記されていましたが、痕跡を確認することはできませんでした。そのすぐそばに、廃線であろう鉄道痕跡と、イギリス積みの赤煉瓦鉄橋が残されていました。後で調べると明治35年(1902)に開通した九州鉄道宮田線で、その後国鉄となり、平成元年(1989)に廃線になったようです。
煉瓦積鉄橋
 直方を目指して先へ進むと、街道筋そばの民家の庭先には「籠立場跡」であったことを示す石碑が建てられていました。
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 そして、同じ地域には庚申塔が、こんもりした丘の麓に残されています。
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 上の画像の正面の2つの石碑をアップにしますと右が猿田彦大神、左側は碑文が読み取りづらいのですが、庚申塔でした。
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 この庚申塔の場所がわからず道に迷ったのですが、地元のおじさまにお尋ねして、場所の案内までしていただきました。「このあたりは田畑の圃場整備があり、街道の道筋がなくなったが、当時の道筋はここからこうだよ」とお教えいただき、皆で頭の中で当時の姿を想像したところです。

幸神尊璽
 さらに、先へ歩を進めると、街道筋に「謹請幸神尊璽」と記されていると思われる宝永年間(1704~1711)造立の石碑がありました。いくつかの字面が異なっているため、表記を間違っているかもしれませんが、現地では庚申尊天の表記違いと思っていました。関係する資料を紐解くと、かつてここに大楠があり参勤交代の妨げになるとして、大庄屋加藤氏が枝を切ってしまったところ病人が相次いだため、お祀りしたものだということでした(福岡県教委、2003)。

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 さらに先に進み、直方に入る手前には、貴船神社が道のそばにあり、道中の安全の参拝に為に立ち寄ります。街道筋に面した階段を登り、境内に入るとこじんまりとした、可愛らしい石製の祠が祀ってあり、ちょうどこの日は、秋祭り当日で地域の人が神事の用意をされていました。

 その合間に参拝させてもらいました。
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 直方の街の入り口まで来ると、城下町の入り口にあった尾崎口御門跡を過ぎます。
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 道筋が残る、街中に入ると、いくつかの古い建物が残っていました。
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 直方駅近くまで来ると、直方城下の守り神である多賀神社に立ち寄ります。
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 この日は、七五三で境内は賑わいをみせ、地元の方々に慕われているのが伺えます。

 道筋は町中の進みます。
 直方も飯塚同様、街道筋と現在のアーケード街が重なっています。
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 街中を外れ、再度遠賀川へ向かうと、頓野口渡し場跡へ
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 この渡し場の直方側には、当時から残る、双子の銀杏の木が今も佇んでいます。
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 遠賀川を渡り、木屋瀬側へ。木屋瀬側の街道筋は現在では消滅しているため、現代の道を進んでいきます。1時間ほど進むと、木屋瀬宿の西構口跡に到着です。
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 車道の両脇には、木屋瀬宿の入り口を示す搆口があり、今もその面影を残す石垣がありました。

 そして、この脇には、赤間道と飯塚道を分ける追分石があります。
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 この追分石は、近年建て替えられ、昔からの追分石は、この先の木屋瀬宿場記念館に移設されています。

 ここから先の木屋瀬は、当時の道筋と道幅、建物を保存され、そしてそれを案内するガイドさん達も活躍されています。その中のひとつの、旧高崎家住宅に入り、ガイドの方に丁寧な説明をしていただきました。

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●高崎家住宅外観

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●高崎家住宅内観

 高崎家住宅を離れ木屋瀬宿の中心へ

 建物の多くは、保存修理や景観修景がなされているそうです。
 その中には、おしゃれにリノベートされたかわいらしい、雑貨などのお店もあります。
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 木屋瀬宿の中ほどにある木屋瀬宿記念館へ入りました。
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 入場料は200円ですが、館内をガイドの方に説明をしていただき、多くのことを学ばさせていただきました。。
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 記念館を後にし木屋瀬宿の東へと進むと、小倉側の東構口へ、その途中も建物が残されています。
 長崎街道を象が歩いたことを伝える造形を、歴史的建築物の壁面に見ることができるのも木屋瀬宿の特徴です。
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 そしてこの日の終着点、木屋瀬宿東構口に到着です。
 この構口は、西構口のように痕跡は残されていませんでした。
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ですが、この構口の向かいの建物は、居蔵造で二階の窓面に金属製の扉を付ける圧巻の佇まいです。
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 今回は、ここまでとなります。いつもながら、現地の方々に道筋やお話をお聞きし、お世話になりながらの道中です。この木屋瀬宿では、歴史的建築物を活用した喫茶店や雑貨屋、そして元気なガイドの皆さんが活躍されており、この木屋瀬宿を目的に来られても楽しめると思いますので、街歩きも合わせておすすめします。

 参加したみなさん、お疲れ様でした。

引用文献:福岡県教育委員会(2003)『長崎街道』

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