2019/12/21 長崎街道歩き「塩田道&多良道鹿島」
12月21日。停滞していた長崎街道歩きですが今年中に、長崎街道を歩き終わりたいと思い
歩かせてもらいました。
長崎街道の残り区間は、塩田から嬉野までの区間ですが
今回は、多良街道から長崎街道に接続する
多良海道の鹿島から塩田までの区間も一緒に
歩くことにしました。
というわけで、今回のスタート地点の
JR肥前鹿島駅からスタートします。
鹿島駅から少し離れた道が
街道になりますが、当時の雰囲気が残る
街中を進みます。
街中から郊外に出ると
道筋は、車道に開発された時に
変更されているのではと想像しつつ
お昼前に多良海道と長崎街道が交わる
塩田町の追分跡に到着です。
画像手前から奥に進む道が長崎街道。
(奥が塩田の街中へ)
交差する横断歩道がある右手が歩いてきた
多良海道となり
当時は追分石があったようです。
ここからは、
塩田を離れ、嬉野までを進みます。
長崎街道の武雄北方から嬉野までの
ルートには、多くの六地蔵が残されており
そのほとんどが現在も、
お花やお茶が祀られていました。
嬉野が近づくと、当時の道筋が
今もよく残っており、当時の河川はよく氾濫し
それを回避するためか
道筋は高台など、平地を避けて通っています。
小さなアップダウンを繰り返し
嬉野の街中に到着すると
これで、長崎街道の
武雄ルート&塩田ルートを含めて、
長崎から小倉までを完歩となりました。
3年を超えて長崎街道を歩いてきましたが
街並みは当時と変わっていますが
山並みなどの郊外の風景は大きく
変わっていないと思われ
街道からみた風景は当時の人々も
同じものを見ていたと思います。
そう思うと、当時の人の息吹を感じた気がしました。
今回、歩いた経験を元に基山を通る
長崎街道のガイドに活かせたらと思います。
次回は、長崎街道と並行する
肥前山口から諫早までの
多良海道を歩いてみたいと思います。
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