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2月2日、2回目となる多良海道歩きを行いました。
今回は肥前鹿島駅をスタートし
多良駅までの約20kmを歩きます。
今回のルートには峠越えがあり
足の進む具合いが気になるところです。

朝8時前に鹿嶋駅をスタート
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鹿島駅から多良方面への浜宿へ進みますが
鹿島中心部は、昨今の道路整備で
道幅は拡張され周辺の建物も改めているようですが
古い町並みの雰囲気は残されている印象でした。
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鹿島市役所を過ぎ、周辺の街道筋には
当時の道幅を想像できる道が残っています。
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浜宿に着くと、町並みは現在も造り酒屋が
営業しており、2016年に町並みを残すために
改修してあるそうです。
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この浜宿道筋周辺には
茅葺きなどの草葺の建物が多く残されています。
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浜宿の端となる番所跡を過ぎると
町並みが終わり、ゆるい上り勾配が始まります。

今回の山場となる峠越えの
矢答(やごたえ)峠へ、みかん畑を進みます。
進む右手には、祐徳稲荷神社の奥の院が望めます。

そして、旅人たちが腰掛け休憩したと言われる
大きな腰掛石が道そばに現れました。
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ゆるい勾配に、しだいに足が削られていきますが
山間の見晴らしは、なかなかのものです。
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浜宿から2時間半ほどで
ルート上の最標高となる
矢答峠に到着です。
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この矢答集落にある天満宮にて
お昼休憩を済ませ
多良の街を目指します。

矢答峠の下りは未舗装の山道です。
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この山道の一部は夏場の大雨のせいか
道筋は雨に流され、下にある石が洗い出され
がれ場のようになっており、足を取らてしまいます。

それ以外の未舗装路は
山道としては歩きやすいと思います。
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未舗装路区間は、私感ですが
約2kmほどと思われます。
それを過ぎると、舗装路のゆるい下り道を進みます。

みかん畑の向こうには
多良の町並みと有明海が遠望できます。
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またもや、未舗装路が現れますが
3,400mの短い区間です。
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矢答峠から約2時間で
多良の街中に到着。

そして、多良駅近くの大魚神社に
この大魚神社には、テレビや観光パンフレットで
紹介されている海中鳥居が海沿いにあり
海道道筋からは少し外れますが、立ち寄って見ました。
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この日は日曜日でしたので
多くの観光客が訪れていました。
この海中鳥居の隣は、
引き潮の時は道路が現れる海中道路となります。
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海道道筋の戻り
今回のゴールとなる多良駅は歩いて10分ほどで
3時過ぎに、今回の街道歩きは終了となりました。

多良町の海道道筋には
黄色い道標が設置してあり
おかげさまで、道に迷うことなく
進むことができました。
020年、年明けの街道歩きは
多良海道を歩きたいと思います。
多良海道の道筋は
佐賀県の肥前山口から長崎県の諫早市までの道なりとなり
今回は肥前山口駅をスタートし、白石町を過ぎ鹿島駅までの
約19kmを歩きたいと思います。

肥前山口駅前の県道35号線に並行する長崎街道から
交差点名が「新宿」付近を北に折れる道が
多良海道となります。2
ですが、どうやら近年の区画整理で
当時の道の痕跡は、ほぼ近代の道に置き換わっており
一部、田畑の中に残す物となっていました。

海道を示す手元の地図と、現在の場所を照らし合わせて
進むと、道筋に多く残されている
お地蔵様が手がかりになるような気がしました。

田畑のなかを進むと六角川にあたります。
白石町との町境となる六角川は当時
船渡しであったようで
船渡し跡付近には大師堂とお稲荷様が祀ってありました。
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六角川を渡り、白石町の平坦地を進みます。
建物は変わっていますが、当時の雰囲気を残す
道を進んで行きます。
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すばらくすると、稲佐神社の大きな鳥居が右手に出てきました。
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この鳥居の先の小山の中腹に神社が見えますが
今回は、通過させてもらいます。

足を進め、今回唯一の表高100m台の峠道となる
深浦峠手前には、宝島の石塔群が現れます。
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梵字を含む石塔と奥の方には
文字だけ刻まれた天満宮
そして、さらに海道道筋を進むと
道そばの大きな石を削ったところに
六地蔵や菩薩様が祀ってあります。

さらに、進むと
すごく雰囲気のある彦島神社が現れます。
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彦島神社から、すぐに標高100m台の小さな峠越えとなり
その深浦峠から、今歩いて来た道を望みます。
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峠を越え、鹿島の市街地に近づきます。
塩田川付近に近づくと
こじんまりとした、琴平神社があり
地元の方が守られていると感じました。
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足を進め、塩田川を渡ります。
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川を渡ると、鹿島の城下町の雰囲気を残す
街中に入り、今回は肥前鹿島をゴールとしました。
今回のルートは現在の道に置き換わっているところが多く
その道そばには、小さな天満宮やお地蔵さま、
八天宮などが多く目に付くことから
過去の河川による、水害が関わっている事を感じました。
12月21日。停滞していた長崎街道歩きですが
今年中に、長崎街道を歩き終わりたいと思い
歩かせてもらいました。

長崎街道の残り区間は、塩田から嬉野までの区間ですが
今回は、多良街道から長崎街道に接続する
多良海道の鹿島から塩田までの区間も一緒に
歩くことにしました。

というわけで、今回のスタート地点の
JR肥前鹿島駅からスタートします。

鹿島駅から少し離れた道が
街道になりますが、当時の雰囲気が残る
街中を進みます。
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街中から郊外に出ると
道筋は、車道に開発された時に
変更されているのではと想像しつつ
お昼前に多良海道と長崎街道が交わる
塩田町の追分跡に到着です。
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画像手前から奥に進む道が長崎街道。
(奥が塩田の街中へ)
交差する横断歩道がある右手が歩いてきた
多良海道となり
当時は追分石があったようです。

ここからは、
塩田を離れ、嬉野までを進みます。

長崎街道の武雄北方から嬉野までの
ルートには、多くの六地蔵が残されており
そのほとんどが現在も、
お花やお茶が祀られていました。
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嬉野が近づくと、当時の道筋が
今もよく残っており、当時の河川はよく氾濫し
それを回避するためか
道筋は高台など、平地を避けて通っています。
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小さなアップダウンを繰り返し
嬉野の街中に到着すると
これで、長崎街道の
武雄ルート&塩田ルートを含めて、
長崎から小倉までを完歩となりました。

3年を超えて長崎街道を歩いてきましたが
街並みは当時と変わっていますが
山並みなどの郊外の風景は大きく
変わっていないと思われ
街道からみた風景は当時の人々も
同じものを見ていたと思います。
そう思うと、当時の人の息吹を感じた気がしました。

今回、歩いた経験を元に基山を通る
長崎街道のガイドに活かせたらと思います。

次回は、長崎街道と並行する
肥前山口から諫早までの
多良海道を歩いてみたいと思います。

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