飯塚宿手前の地点を、その日のゴール地点とし今回は、その地点の最寄り駅となる
飯塚駅まで基山から列車移動し6名でのスタートとなります。
飯塚駅
スタートしてすぐに穂波川を渡ります。
右手の橋が今回渡った徳前大橋です。
橋を渡っての対岸には、以前掛かっていた
木造橋の向町橋の説明と石碑があり
説明によると、大正時代に向町橋が掛けらたとあります。
という事は、街道があった江戸時代は
橋はなく、人足などで渡っていたのでしょうか?
向町橋石碑(側面に説明板あり)
ここから飯塚市街へ進むと
飯塚宿の構口がありました。
この構口の向かいには、立派な御大師堂が祀られていました。
ちなみに、飯塚市内では、今では珍しい消火栓が点在しており
今なお現役と、地元に方にお聞かせいただきました。
飯塚宿の道筋は現在アーケード商店となり
この日は、「いいづか街道まつり」が行われ
私達が通った時には、子どもたちの太鼓演奏やダンズなどで
賑わいを見せていました。
アーケードを抜けると
飯塚の鎮守、「曩祖八幡宮」(のうそはちまんぐう)があり
創建は800年台と説明があり、1200年近い歴史に驚きますが
現在も参拝者が多く見えられていました。
私達も参拝を済ませ、飯塚市街を離れ
国道211号線と平行する街道の道筋ですが
道なりと建物がよく残されています。
このお屋敷の屋根に上がっている鬼瓦は
恵比寿様が、えびす顔で道行く人々を見守られていました。
当時の町中を残すところはここまでとなり
国道200号線バイパスを越え
バイパスではない国道200号線近くを通り
更に許斐神社を過ぎ
伊藤伝右衛門邸へ向かいますが、
伝右衛門邸の前の道が街道の道筋となります。
伝右衛門邸門前にて
伊藤伝右衛門邸からすぐに
遠賀川沿いを進みますが
この遠賀川沿いは当時の道筋はすでに消滅しております。
鯰田付近にでは、川沿いからそれ少し内陸を進むと
鞍手郡と穂波町の郡境石があります。
(安政3年)1856年勝野村にて建立とのこと
この境石は今も郡境でもあり
この境石の向かいの美容室の屋号は「サカイ」さんでした。
この小竹町は、今も石碑や、お地蔵様、神社がよく残っており
そのひとつの貴船神社に
この貴船神社内にある猿田彦大神の碑は
川石なのか、側面には丸い穴が貫通した奇岩でした。
貴船神社からは、小竹町の北入口の目印にあった
「シンジュの木」の切り株跡を過ぎ
(今は切り株は無くなりコンクリの壁面に説明を残すのみ)
そして、再度遠賀川沿いへ
川沿いを進むと、今日のゴール地点の小竹駅に到着
(道沿い左手白い建物が駅舎)
この日は、爽快な秋晴れで、汗ばむ気温でもなく
皆さんスムーズな足取りでの14kmほどの行脚となりました。